スマートフォンで撮影した2018年の平壌での人々の暮らし、そして学生交流

今井)
今年(2018年)は、8月に合計17人で訪朝しました。北京経由で平壌には7泊8日。絵画交流と大学生交流が大きな目的でした。昨年(2017年)は、ミサイル・核実験で軍事的緊張が高まる中、大学生交流が中止。事務局だけの訪朝となりました。しかし、今年は南北首脳会談等もあり、情勢が大きく変化し、大学生交流を再開することができました。

(2012年の初めての大学生交流会では)会議室で短い時間を過ごすだけの交流でしたが、ともに過ごす時間が年々長くなっています。今年は、日本の大学生6人と、平壌外国語大学で日本語を学ぶ大学生8人が、「玉流館」という1番有名なお店で冷麺を食べたり、地下鉄に乗ったり、バスで移動したりしながら交流を行いました。

JVC代表理事・今井高樹さん

堀)
緊張状態もありながら、繋ぎ止めて交流してきたのですね。メディア側の人間として、伝える側の責任も大きいと感じています。日本では、北朝鮮と言えば、メディアから流れてくる「金正恩」、「核」、「テレビの特徴的なキャスターの様子」などのイメージが強い。JVCの活動を取材させていただいて、「北朝鮮に住んでいる一人ひとりのことを知っているだろうか」と考えるようになり、今年は一緒に訪朝させていただくこととなりました。

是非、貴重な映像もご覧ください。

初めて見渡す平壌の街並み 「報道で見ていた街並みと印象が違う」

堀)
北京空港から平壌空港までは国営の高麗航空の旅客機に乗り約2時間のフライトで到着します。機内食はハンバーガーと飲み物が軽食として出されます。ゴマのふってあるバンズに、あっさりとした肉が挟まれています。ハンバーガーと言えばアメリカの象徴的な食べ物ですが、それが機内食で出されるとは驚きました。1時間あまりすると機内アナウンスが。窓の外を見下ろすと川が見えました。中朝国境を流れる川、鴨緑江です。アナウンスは入国を歓迎する内容でした。

到着した平壌空港は日本の主要都市の空港と同じような規模感で設備や内装も近代的で整った雰囲気の空港でした。入国時には荷物チェックの他、パスポートと携帯電話を一旦預け確認を受けます。

ゲートを出てロビーに向かうと、早速、平壌外国語大学出身の2人の女性が出迎えてくれました。日本からの6名の大学生たちとの初対面です。彼女たちが学生交流で通訳を務めてくれます。日本語学科を卒業しており、自己紹介も流暢な日本語です。とは言え、なかなか出会うことのない日本人を前に顔を赤らめ、はにかみながら探り探りの会話をしていました。

バスに乗り、平壌中心部に移動。道中写真などを撮影して良いか尋ねたところ「検問所と軍事施設、軍人の顔のアップさえ撮影しなければどこを撮っていただいても構いません」と案内がありました。 初めて見る平壌の街並みは思った以上に近代的でした。高層マンションやガラス張りのオフィスビルなど、ここ数年で新たに建設された街並みが続きます。町の中心部、金日成広場では9月9日の建国70周年式典のマスゲームに参加する若者たちが練習を続けていました。

街中ではタクシーや路面バスが頻繁に行き交っていますが、乗車率の高さが目立ちます。去年よりもタクシーの台数が増えたとJVCの宮西さんは驚いていました。 フォルクスワーゲンやベンツなどのドイツ車に加え、日本のトヨタや日産車も走っています。国連の経済制裁の影響で昨年度こそマイナス成長となったものの、この10数年、北朝鮮は経済成長を続けてきました。平壌では人々の生活が底上げされてきたといいます。ドイツやオランダなどヨーロッパからの観光客もいます。日本、アメリカ、韓国とは国交がありませんが、そのほかの多くの国々と国交がある国であるというのを忘れてはなりません。

一行を乗せたバスは、高さ170メートルを誇る「主体思想塔」へ。最高指導者の金日成氏の生誕70年を記念して建てられた塔で最上階が展望台になっています。エレベーターで上がると平壌市街地を一望できます。観光スポットの1つだといいます。最上階から見る平壌の様子は爽快でした。市内を流れる大同江(テドンガン)を挟んで東西にまたがって街が広がっています。人口は約250万人。北朝鮮の全人口の1割が首都で暮らしていると言います。ピンクや緑のカラフルな集合住宅が密集する伝統的な地域から高層ビル郡が並ぶ新しい開発地域までどこを切り取るかでその表情は様々です。日本の学生たちも「報道で見ていた街並みと印象が違う」と驚きを隠せない様子でした。

主体思想塔から見下ろした平壌市街地©︎日本国際ボランティアセンター(JVC)

新しい高層マンション群が立ち並ぶ一画は「未来科学者通り」と名付けられ、科学者や研究者が優先して入居できる特別区です。科学技術の向上を国家戦略に掲げており、担い手である科学者を優遇し、将来の人材確保にも繋げていくのが狙いだと同行した政府関係者は語っていました。 核兵器の開発に成功したいま、これまで核開発と経済発展の両輪に投入してきた国家予算を、いよいよ科学技術と国民生活の向上にあてることができると期待をにじませていました。

未来科学者通り©︎日本国際ボランティアセンター(JVC)

道中のバスで平壌の女子学生と色々な話をしました。「流暢な日本語をどのようにして学んだのですか?」そう訊ねると、小学生の頃から日本に興味があったという学生の答えは意外なものでした。 「ハウルの動く城。歌を歌いながら歌詞から日本語を学びました。トトロの歌も歌えます。面白かったアニメは、小さいときに観たから一番印象に残っているのが天空の城ラピュタ。ラピュタは精神がいい。故郷を守る。郷土愛がありますよね。共感します。」 ジブリ作品は彼女の心に郷土愛を感じさせたというのです。

そんな彼女にもう一つ質問をしてみました。国連の経済制裁についてです。この回答にも驚きました。 「正直しんどいです。生活の質を落とさなくてはいけなくなったから。私の趣味は休みの日に雑貨屋さんに行って食器やキッチン用品を見ることなんですね。制裁が始まってから、海外からのかわいいものが入ってこなくなって国産品に代わっていきました。国産品はあまり可愛くないので、少し悲しいです」

他にも、ヨーロッパなどからの輸入物のピアノが入ってこなくなり、国産のピアノが最近ようやく手に入るようになったのでホッとしているという話などもありました。制裁への生活の影響を聞く平壌で暮らす人たちも私たちと同じ生活者なんだということが実感されます。

「人と人との関係から、国と国との関係に」 第一歩を踏み出した学生たち

堀)
いよいよ日本の学生と平壌の学生たちが対面し、交流をスタートさせます。 場所は平壌外国語大学のキャンパスです。グラウンドでは学生たちが休憩時間にサッカーをして体を動かしていました。キャンパス内にはイタリアや中国など外国から平壌に学びにきた留学生の寮などもありました。

平壌外国語大学のグラウンドで休憩時間にサッカーをしている学生たち©︎日本国際ボランティアセンター(JVC)

まずは日本語を学ぶ平壌外国語大学付属の外国語学院の学生たち(14〜17歳)の教室を訪ねました。10名ほどの学生たちがヘッドフォンをして日本語教師の指導を受けていました。日本語学科はかつては学部でしたが、今は学生の数が減って学科になりました。特にこの15年、日朝関係は冷え込むばかりで学んでも将来の仕事に活かせないと、学生たちにとっても不人気な言語になったと言います。人気は中国語と英語。しかし、それでも日本語を学びたいという学生たちの存在は貴重です。外交交渉では彼らが外交官や通訳などとして活躍することが想定されるからです。

日本の学生たちが教室の前に立って、彼らに話しかけます。

「どうですか、僕の日本語?」
-(朝鮮の学生たち)「正しいです。」
「日本語の勉強を始めてどれくらいですか?」
-(朝鮮の学生たち)「2年です。」
「言っていることもわかっているしすごいですね。」

「みなさんは将来何になりたいですか」
-(朝鮮の学生)「私は将来軍隊になりたい(注:入りたい)です。」
「どうして日本ご勉強するんですか?」
-(朝鮮の学生)「僕のお父さんが元々日本語を専攻していたからです。」
「日本語の漢字は難しかったですか?」
-(朝鮮の学生たち)「はい」
「漢字、カタカナ、ひらがなどれが難しかったですか?」
-(朝鮮の学生たち)「漢字です。」

そして、いよいよ交流する大学生たちとの対面です。彼らとは約3日間、行動を共にすることになります。自己紹介の後、テーブルに向かい合って座りお互い思っていることを質問し合います。気温が上がり扇風機の風がそよぐ中、お互い言葉を選びながら質問を繰り出していました。

「どうして日本語を学ぶようになったのですか?」という質問。その最初の答えは、「日本は朝鮮を植民地にしてきた歴史があります。自分は日本語を習って賠償をもらいたい」というものでした。日本の学生たちは戸惑いを感じたようです。和やかなムードのなかでいきなりシビアな答えが返ってきたのです。

その後は、「日朝関係を新しくしたい。近い国だから中国と日本語学びたい、漢字があるので、まずは日本語をならってから中国語を習えば身につけやすいと思ったからです」「日本は隣国ですから、経済的に協力するために日本語を学んでいます」と続きました。

日本の学生たちはそうした答えを受け、こう返します。 「僕たちは若い、大人になったときに朝鮮に行ったと言える。君たちも日本人に会ったと言える。人と人との関係が、大きな国などの関係に繋がっていく。人と人との関係から始めたい」

平壌の学生が確認します。「人と人との関係から、国と国との関係に繋がるということですね」、そう語りながら笑顔で頷いていました。

交流している日本と平壌の学生たち©︎日本国際ボランティアセンター(JVC)

大人同士の交流の中で見えてきた、北朝鮮の目指す未来

堀)
最初の交流の後、日朝双方の学生たちが同じバスに乗って平壌市内の施設をまわりました。 訪れたのは幼稚園や小学校の教師を育てる、教員大学校です。そこでは、驚くべき授業の数々が展開されていました。ARやVRなど最新のデジタル技術を使った遠隔授業の技術の育成です。発展を続ける平壌と貧困が続く農村部との教育格差を埋めるため、これからは遠隔授業で平準化を狙うのだというのです。子どもたちが視覚・感覚でとらえられるようにプロジェクションマッピングの技術を勉強していたり、予想以上に技術が進んでいました。3Dホログラムなども使用するというのです。

「平壌はショーケースだ、プロバガンダといわれるけれど、農村部と都市部の違いも認識していて、課題だと思っている。平壌でモデルケースを作り、それを徐々にその他の地域に浸透させていくのが我々の国のやり方だ」と話していました。最新の教育技術に関しては、平壌外国語大学の学生たちでさえ驚いていました。急速な発展を遂げようとしている、その一端を感じさせる授業でした。 こうした記録映像はなかなか日本国内の報道では目にすることができません。私たちが見ている北朝鮮はごくごく一部なんだということを改めて認識させられました。日本で東京が最先端なように、朝鮮では平壌が最先端。日本も地方創生が課題であるように、農村との格差が課題。「平壌だけでしょ」と言われるけれど、日本も「東京だけでしょ」と言われるのと同じことなのかもしれません。

通訳をしてくださった方々の中には、大学院生だけでなく、ベテランの方もいらっしゃいました。お酒も交えながら、センシティブな話もしました。その人たちの話の中で、印象的な言葉を紹介します。「我々は核開発をしていましたが、核開発が終わり、ようやく生活向上に取り組むことができる。正直ビジネスの話もしたい。いつも日本人と話す時は、『核』、『ミサイル』、『拉致』、『歴史』の話ばかり。他の外国語を選択した同僚とは違う。自分が日本語を選択したのは正しかっただろうかと考えています。小泉政権時に希望を持って日本語を学んだのですが、それでよかったのかと」。

また、国名の呼び方に関して、こんな話がありました。「この国に来たからには『北朝鮮』ではなく、『朝鮮民主主義人民共和国』『朝鮮』『共和国』と呼んでほしい。『北朝鮮』という言葉には、『危険な国』というイメージがある。フラットな気持ちで呼んでほしい」と。NHKでは以前までは、正式名称を入れて原稿を読んでいました。最近正式名称を書かなくなったことについて日本の新聞記者に聞いてみると、「メディアの中でも拉致などが問題になり、『北朝鮮』という呼び名が浸透してきた」と話していました。このような変化に、メディアの中にいる人間として鈍くなっていたかもしれないと感じました。

平壌市内の地下鉄の駅©︎日本国際ボランティアセンター(JVC)

日朝の大学生が「信頼構築」について議論 見えてきた「違い」と抱いた決心

宮西)
日朝大学生交流会は3日ありました。最終日には、龍岳山に一緒に登ってお弁当を食べて、午後に意見交換を行いました。意見交換は和やかに、時には厳しい意見も飛び交いながら進みました。

JVC広報グループマネージャー/コリア事業担当・宮西有紀さん

個人間の信頼についての話から、日本と朝鮮との信頼構築に話を移していきました。「信頼関係が個人的に築ける人というのはどういう人か」という問いには、「話ができる人」、「約束がわかる人」、「相手の思いがわかる人」などという意見が出ました。国で考えてみると、「過去に悪いことをしたら反省する」「植民地の反省が必要」「個人間と国家間の信頼関係は同じではない」という意見が上がりました。

意見交換会を終えて、朝鮮の学生は、「まずは謝罪をして、個々人が市民同士で繋がって、そこから国同士で繋がっていきましょう」「世界を学校に例えたら、日本と朝鮮はクラスメイト。眼の前のことだけでなく、まわりのことを考えよう」と話しました。また、「謝罪が必要」という話に関して、日本の学生から、「友人の日本に対する深い憎しみに触れて、友達ながら悲しい気持ちになった」との話もありました。

また、3日間の交流を通しての感想として、平壌の学生は、「お互いに国交正常化のために頑張ろうと決心した。忘れないでこれからも頑張ろう」「楽しかった。日本語の勉強にもなった。次いつ会えるのか分からないけれど、私たちが戦えばその日は必ずくるでしょう。今まで教材だけで勉強していて日本語に対して不安だったけれど、3日目にはいろいろな意見を交わすことができて楽しかった」と話してくれました。

日本からの学生は、「それぞれ違いがあって、それを知れたのが自分の中で大きい経験。それぞれの国の大学生が将来的に交流できるように、日本の大学生としてこれからすべきことがあると思う」と話していました。

意見交換に参加した平和研究者の先生が、「信頼関係を築くにはまずは自分が得ている情報が本当に正しいのか考える」と話されていた言葉が印象に残っています。違いがあるのは当然。でも、違いを受けとめて乗り越えることは簡単ではありません。学生たちが自分のできることを見つけてほしいと思います。

©︎日本国際ボランティアセンター(JVC)

「顔をあわせられる機会がなければないほど、イメージはエスカレートする」

堀)
昨年(2017年)、JVCの皆さんとパレスチナを訪問した時に、「早く平和が訪れるといいですね」と言うと、JVCの職員の方から「それは誰にとっての平和ですか?」と聞かれました。「平和」は人によって違う。平壌でもそうですよね。

今井)
「平壌の人たちは日本との平和の関係を望んでいないのではないか」というイメージもありました。日本の学生も「朝鮮に対して怖いイメージを持っている」と話していましたが、「日本との国交正常化を望んでいるんだ」と知るだけで違う。JVCは様々な地で活動していますが、多くの紛争において、「相手は平和を望んでいない」「自分たちを嫌っている」と思うことが多くあります。直接顔をあわせられる機会がなければないほど、イメージはエスカレートします。敵対心を煽るような宣伝もあり、「仲良くできない」「戦わなければいけない」と感じてしまいます。

堀)
イメージというのは危険ですね。ベテランの通訳の方がこんな話をしていたのが忘れられません。「私たちの世代の問題である、核の問題や拉致の問題を解決したいと思う。自分にも娘がいる。後輩や学生たちがいる。彼らの望む未来を実現できるように、今解決したい。関係を発展させていきたい。今のように膠着状態でずっといたら、何にも前進できない」と。私たちの世代も責任を背負っているというのを感じました。前進のための言葉を投げかけていかなければいけませんね。

メディア人として、平壌に入るメディアと入らないメディアがあります。「向こうの手の平の上に乗っかってそれを伝える必要はない」と記者を入らせないメディアがある一方で、TBSや共同通信のように訪朝に同行するメディアもあります。受け取る皆さんそれぞれで考えて判断することではあるけれど、情報を提供する側としてはアプローチし続けること、伝えつづけることが大事だと考えています。

僕らの仕事はたんたんとファクトを集めてくることです。今回は、すごく大きなホールケーキの、ほんのワンピースを舐めただけ。僕もまだ一部しか知りません。何回も足を運んで、「北朝鮮」という大きな主語でなく、小さな主語で一つひとつ集めていきたいと思っています。社会を変えるのはジャーナリズムではなく、有権者一人ひとり。それができるのが民主主義です。その情報素材を提供したい。これまでは、イメージでしか語れないのが申し訳なく思っていました。今回は、取材でなく訪問という形でしたが、貴重な経験をありがとうございました。

宮西)
日本の学生たちも、今まさに悩んで考えを整理しているところだと思います。自分が見たものを、信頼している友人、自分を信じてくれる人に話しをして、考えていく。私たちはこれまで細い糸で繋がってきましたが、それを続けて広げていき、お互いに理解してお互いを想像して、わたしたちの地域の平和を作っていければと思います。

©︎日本国際ボランティアセンター(JVC)

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