JVC宮西有紀さん:「相手の顔が見えないことは不安を煽る。往来ができる限り行って直接会おう」

JVCは、インドシナ難民の救援を機に1980年にタイで発足した日本のNGOで、今年(2018年)で設立39年目になります。JVCのコリア事業の1つが、「南北コリアと日本のともだち展」という活動です。これは、日本と朝鮮半島に住む子どもたちを、絵とメッセージで繋ぐ絵画展です。日本とは国交がなく、実は今も朝鮮戦争は休戦中で戦争が続いているという状況です。そういう状況の中で、私たち日本人が住んでいるこの東北アジアで、「相手を知ることから平和をつくっていく」という、平和づくりの活動です。「南北コリアと日本のともだち展」は実行委員会形式でやっており、JVCを含め全部で9団体が参加しています。

北朝鮮での活動のきっかけは緊急支援でした。1995年に朝鮮で起きた洪水被害に際して人道支援に取り組んだNGO、在日コリアンの団体が中心に集まりました。支援では伝わらない、日本と朝鮮の「人と人」の顔をつなぎたいという思いで私たちはこの活動を始めました。今もそうなのですが、日本では北朝鮮の現地の子どもたちのことを知る機会がなかなかありません。ですから、そういった子どもたちの姿を日本でも伝えたいということから、北朝鮮の子どもたちの絵を日本に持ち帰って展示会を開催し、同時に日本からも子どもたちの絵を北朝鮮へ持参して紹介するようになりました。

日本で開催した「南北コリアと日本のともだち展」©︎日本国際ボランティアセンター

絵画の交換、絵画展の始まりが2001年で、丸17年やっています。情勢が厳しい時もありましたが、17年間ずっと日本と北朝鮮のパイプを繋いできました。一度も途切れたことはありません。絵画交流は、平壌市内の2校の小学校、ルンラ小学校とチャンギョン小学校からご協力をいただいています。北朝鮮の子どもたちの絵を日本で展示した際に、絵を描いた子どもに対して日本の子どもたちが手紙を書きます。また、日本の子どもたちが描いた絵に対しても、絵を見てぜひ手紙を書きたいなという子に、北朝鮮の子どもたちが一生懸命にメッセージを書いてくれていました。

日本の子どもたちが描いた絵を見る北朝鮮の子どもたち©︎日本国際ボランティアセンター
日本の子どもたちに手紙を書く北朝鮮の子どもたち©︎日本国際ボランティアセンター

もう一つコリア事業の大きな柱となっているのが、2012年から開始した大学生同士の交流です。実は、平壌には日本語を学んでいる学生がいます。平壌外国語大学民族語学部日本語学科への日本語教材支援をきっかけに大学生の交流の試みが始まりました。きっかけは、やはり毎年ずっと子どもの絵画展の交流があったので、その交流時にたまたま日本の大学生が同行して平壌外国語大学に訪問した際に交流を提案したことです。2012年の最初の交流時は平壌外国語大学の教室でお互いに自己紹介をして、少し話をしました。初回はたった2時間足らずの交流でした。ところが、翌年の2013年には平壌市内を一緒に回りながら交流するようになりました。平壌市内の観光をしながら、平壌外国語大学日本語学科の学生がガイドさんの話を日本人学生に通訳して、学生同士も直接話す機会がありました。私たち事務局は学生同士が自由に話して交流している間は、後ろからそっと見守っています。交流が3年目に入ると、一緒に山に登ってピクニックをして、外でワークショップをするという形にまで発展しました。一緒に過ごす時間が徐々に増えていって、交流の形がどんどん変わっていきました。

2012年に初めて開催した平壌外国語大学と日本の大学生の交流の様子©︎日本国際ボランティアセンター

昨年の活動についても少しお話しさせていただきます。去年8月のことを覚えていらっしゃいますか?ちょうど北朝鮮がグアム沖でミサイル攻撃をする計画があるとの報道が出て、具体的にミサイルが広島や徳島上空を通過するという具体的な話があり、避難訓練も始めたという時期(2017年8月)に訪朝してきました。実は、訪朝する際に事務局内で行くかどうかをかなり議論しました。ただ、「相手の顔が見えないことは不安を煽る、そして、不安だからこそ相手が怖い」。これは悪循環です。やはり情勢が悪い時だからこそ、往来ができる限り行って直接会おうと、次に繋げるために私たちは訪朝してきました。顔が見える関係で、直接会って話をすることが大事。ただ、日本の大学生が訪朝して大学生同士の交流をすることはできませんでした。私たち事務局の大人だけの訪朝団となりましたが、私たちが学生の代わりに平壌外国語大学日本語学科の学生に会ってきました。

ここで2017年に日本の大学生との交流を待ち望んでいた平壌で暮らす若者の声を聞いてください。1人目は、代表団の通訳として参加した平壌外国語大学の卒業生キム・チョンナムさん。彼はお父さんが外交官で、モスクワに3年間住んでいました。2017年の春に卒業して、8月の段階では、就職の配属待ちだと言っていました。

「実は私、日本の学生たちが来ると聞いて、本当に関心を持っていました。私はまだ日本人と一度も直接会ったことがないし、だからすごく悲しかったんです。しかし、情勢のせいで来られなかったことに、私は残念に思います。だから、今は離れていてもお互いに今後頑張って、来年きっと会えるように私は願っています。じゃあ、来年会う時まで、お体に気をつけて、勉強頑張って!」

平壌外国語大学の卒業生キム・チョンナムさん©︎日本国際ボランティアセンター

2人目は、平壌外国語大学日本語学科のキム・ジソンさんです。

「私が日本語を選んだ理由を話しますと、日本語は発音が女性らしくて綺麗だと思いました。また、日本は近い国で、私の国、朝鮮と深い関係があります。日本は40年以上、私の国を植民地にしながら莫大な不幸を与えました。朝鮮人に与えた(苦痛の)謝罪を、必ず日本から得なければいけないと思って、私が朝鮮と日本の関係で何か努力しようと思って日本語を学びました。」

平壌外国語大学日本語学科キム・ジソンさん©︎日本国際ボランティアセンター

3人目は、私たちの通訳として参加予定だった、平壌外国語大学日本語学科のリ・クムへさんです。彼女は、2017年の大学生交流に通訳として参加する予定でした。どうやら成績上位の子が私たちの通訳についてくれるみたいで、彼女は先輩から交流のことを聞いていて以来、「這ってでも通訳につきたい!」と勉強を頑張って。休みの日も、「私は負けず嫌いですから、ずっと勉強をしています」と言っていました。念願叶って2017年の通訳に任命されたそうなのですが、日本から学生が行かなかったので、すごく残念で仕方ないという彼女の気持ちが現れたメッセージです。

「去年は私の先輩たちが通訳に動員されましたから、もう次は私の番だと想って。クラスに12人いますけど、私はどんなことがあっても我を張ってでも、実力がないと言われても、無条件に彼らと会っていろんなことを話したいと。国交正常化は私たちの肩に乗っていますから、一緒に手を合わせて、近くて遠い国ではなく、近くてもっと近い国にするために頑張りましょうって。いろんなことを話したかったんですけど、残念で、残念で。私もまだ若いですから、機会がたくさんあると思います。その時は今の気持ちを込めて、もっとたくさんのことを言い合いたいと思っています。

私が日本語で一番好きな言葉は、『思いやり』という言葉がとても気に入りました。私の国では、他人のことを自分のことのように思う、集団精神を学ぶように努力していますけど、私はちょっと冷たい女で、エゴイズムのところがあって。私一人だけよく勉強したい、私一人だけよく知ればいい、そういうところが人一倍強かったと思っています。『思いやり』という言葉を勉強して、資本主義社会に暮らしている人たちも、『思いやり』という言葉を喜んで使っているのに、私のように集団主義社会で暮らして教育を受けた人が、自分のことばかりを思ってはいけないと思うようになりました。」

平壌外国語大学日本語学科リ・クムへさん©︎日本国際ボランティアセンター

チョ・ソンヒョン監督:「尊敬心を持って近づけば、撮影の限界も超えることができる」

Q1、監督が韓国籍を放棄してまで、北朝鮮の日常を生きる人々の姿を描きたかったのか。ドイツ国籍を取ってまで、なぜ北朝鮮の映画を作ろうと思ったのか。その理由やきっかけを教えてください。

皆さん、国籍を変えるということにすごく大きな意味を与えるのですが、国籍を変えるということはそれほど大変なことではありませんでした。ドイツの放送局から制作費を頂けるということで、私は躊躇はしませんでした。国籍というのはパスポート、紙でしかないという感覚でした。でも韓国の国籍を捨ててドイツのパスポート、国籍を取得した日は、とても不思議な感じで少し悲しかったです。今はドイツ国籍を持ってとても嬉しく思います。韓国と北朝鮮を自由に往来できるからです。北朝鮮に行っても故郷に戻るようで、韓国に行っても同じ気持ちです。私は韓国人でもなく北朝鮮の人でもなく、相対的な韓国人と言えますね。

Q2、なぜ北朝鮮の普通の人を描こうと思ったのですか?

私たちが持っている北朝鮮のイメージはいいものではありません。北朝鮮の人を「人間」として思わず、北朝鮮を思い浮かべると、北朝鮮の政権をすぐに思い浮かべます。全てひっくるめて悪い、という風に言っていますよね。それで北朝鮮を孤立させながら。孤立した状況の中での人間を、私たちは忘れているのではないでしょうか?私が見せたかったのは、そんなに大きいことではありません。北朝鮮にも人間が暮らしているということです。北朝鮮に住んでいる人たちは私たちとよく似ています。特に韓国人ととても似ています。

Q3、北朝鮮で映画の撮影を行うにあたって、検閲を免れることはできませんよね。撮影した全てのテープを北朝鮮当局が必ずチェックするという制約があるのです。その制約下でどこまで北朝鮮の人々の真実、表情、実際の姿に迫ることができたと思いますか?

もちろん制限はありました。しかし、努力すれば見ることができるものがあります。北朝鮮の人を尊重しながら、批判と蔑視の対象ではなく、私と話し合いができる人だと思って尊敬心を持って近づけば、撮影の限界も超えることができた気がします。海外のクルーが北朝鮮に来ることになると、北朝鮮が提示した情報を全て受諾して、限界を越えられず撮影をすることになるんですよね。しかし私たちは、北朝鮮側が「これとこれはできない」と言ったら、「どうしてこれはできないの」という話し合いをしました。北朝鮮で撮影をすると(監視のための)同伴者が必ず現場にいるんですよね。私たちも撮影の初期には同伴者が必ずその場にいました。でも、同伴者と一緒に撮影に臨むといい画が撮れませんでした。同伴者がいる中でインタビューをしたのが、映画にも出てくる画家でした。同伴者の女性3人と私の計4人がその画家に注目していたので、その画家が縮こまっている感じでした。インタビューしてもおもしろい話が全然聞けませんでした。元々はとても闊達で明るい人なのに、声も小さくて、どもり気味で、ずっと人目を気にして監視の女性たちを見ていました。「これはちょっといけないなあ」と思って、撮影が終わってから話し合いを持ちました。「監視の女性が見つめているから撮影ができないのだけど、どうしたらいいのだろうか。このまま撮影してドイツで見せたら、ドイツ人たちが『共和国の男は話し下手だし、とても恥ずかしがり屋だし、ロボットのようだ』って思うに違いない。あなたたちがいて彼が話せないのがいいのか、あなたたちがいなくて彼が思う存分自分の話ができるのがいいのか、どっちがいいのか。祖国の民族のためにどっちがいいのか決めてください」と私は迫りました。3人はしばらく沈黙をして、出ていきました。それ以降、彼女たちは祖国の民族のために撮影所には来ませんでした。私たちは、歴史的に初めて監視なく撮影できたクルーだったと思います。彼らを理解して同じ目線で話ができれば、いい撮影ができるということです。共和国で映画を撮る人たちにアドバイスをしたいことがあります。共和国に行ったら、共和国の人が絶対に私たちに見せるものがあります。記者でも政治家でも普通の観光客でも、共和国に行ったら必ずそれを見ることになります。しかし、2回目に共和国に入ると、「この人は2回目に来たな」と分かり、もっとたくさんのことを見せてくれます。私たちは本当の撮影に入る前に4回、本取材で2回北朝鮮に行きました。だから、(初めて北朝鮮に入った人より)もっとたくさんのことを見せてもらえたと思っています。他の制作チームは1回北朝鮮に足を踏み入れてその場で撮影して帰ったら、二度と北朝鮮には来ないのが実情です。だから、皆同じものばっかり撮っているということですよね。

Q4、映画のポスターに、「これはプロパガンダか?」という言葉がありました。実際に北朝鮮にいかれて、プロパガンダについて監督自身はどのように感じられましたか?

私の映画の中に出てくる画家も「綺麗な美女しか描かない」と言ったでしょ。だから私、その画家に聞いたんです。「世の中には足りないものもあるし、綺麗じゃないものもある。なぜ完璧で美しいものしか描かないのか」と。画家からは、「私は美しいものだけを選びたい」という答えが返ってきました。これは、個人の考えではなく、北朝鮮社会のイデオロギーのようなものだと思います。外国人(お客さん)が来たら一番良いものだけを見せるということです。お客さんの立場からこのようなものを見ると、プロパガンダのように映りますよね。私たちの考えでは「プロパガンダ」というと否定的なものですが、北朝鮮では「プロパガンダ」はとても肯定的な意味です。だから、私たちにはいいものしか見せていないということですね。映画を撮った後に、「私は表に出ているものしか見ていないのではないか。真実を見ていないのではないか」という疑問も起こりました。しかし、編集をする段階で、画と画の間に真実の姿も見えてきたのです。「行間を読む」ということが可能です。彼らがいいと思っているものしか見ていないかもしれないけど、画と画の間に第3の画が存在したということに気づきました。

©︎映画「ワンダーランド北朝鮮」

Q5、北朝鮮政府の動向については、どんな評価をされていますか?今後そのまま南北統一などに向けて平和的な方向に向くのか、それともかつてのように逆戻りになってしまうのか?

金正恩国務委員長とは直接お話ししたことがないので、国務委員長の本音はちょっと話にくいですね。誰も分かりません。それにも関わらず、私が希望的な観測を持つのは、2012年から計7回北朝鮮を往来するうちに見えてくる変化があったからです。北朝鮮の変わり様を見て、こんなに目まぐるしく変化していいものかと。北朝鮮の社会でも「保守」はいます。最高指導者たちが決定したことに対して皆ついていけるのかと。国民や人民はついていけると思うのですが、保守勢力がついていけるのか私は気になりました。北朝鮮にも市場経済の様子が変わっており、旅行代理店が増えました。昔は1つだったそうです。その旅行代理店をやっている人から聞いた話では、彼が旅行事業を拡大していく時に、外国の観光客で自転車で旅行する人たちを集めて新しいプログラムを作りました。北朝鮮は車があまりないので、自転車に乗ることがとても多いところなんです。奇抜なアイデアだと思いました。しかし、北朝鮮にも、何かを決定する時に「長老」という決定権がある人たちがいて、アイデアがあったらそういう人たちに伺わないといけないというシステムがあるらしいのです。「長老」たちはダメだと反対しました。根気よくその計画案を提示しましたが、3回出してもまたダメだなと思い、(許可を得る前に)プログラムを始めてしまったそうです。旅行事業にもこんな反対をするわけだから、当然政治的にもあるのではないでしょうか。今回、金正恩委員長と文在寅大統領が平和に向けて会った時に、私は少し心配になりました。保守勢力がついていけるのかと。

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