(日本語) ■丁寧に紡ぎ出された「緊迫感」

(日本語) 堀)
こんにちは、堀です。僕は普段のジャーナリスト活動以外に、NPO/NGOの活動を専門に発信するメディア「GARDEN Journalism」を運営しています。去年、「プラン・インターナショナル」の皆さんの活動現場について、馬野さんにインタビューをさせていただきました。その他、様々なNPO/NGOの活動域の取材で、難民キャンプを含め、中東や東南アジアなど持続可能な支援が必要な現場を取り上げさせていただいています。日本国内のテレビメディアのニュースを見ると、今日なんかはずっと吉本の話をしていますが、本当は国際人道支援の現場の状況や国際情勢の中であるべき日本の姿について考える機会が必要だと感じます。特に、先進国の役割として、蓄積された知見を開発国とどう共有するかという点は非常に重要です。その辺りが物足りないので、自分たちでメディアを立ち上げました。今日も1つの発信窓口になれたらと思っています。

馬野)
皆さん、こんばんは。「プラン・インターナショナル・ジャパン」の馬野と申します。僕は2002年から国際協力に携わるようになり、初めての国際協力の仕事先がマラウイでした。2003年から2005年までの3年間、マラウイで仕事をしました。その時期というのがまさに、映画の主人公・ウィリアム君がいろんなチャレンジをしようとしていた時期と重なっているということで、すごく縁を感じるとともに、もしかしたら向こうですれ違っているのではないかと想像しました。今日の試写会の場に居られるということで、縁と有り難さを感じています。今日はよろしくお願いします。

堀)
僕が映画の中で注目した点の1つは、大きな話で言うと、「未来を作る新しい世代に、今の世代が権威を振りかざして押さえ込んでしまうのか。それとも未来を信じて可能性を信じて託せるのか」ということ。僕らの日常社会の中でも慣習的なものや世代間の分断による閉塞感があると感じます。これが先進国特有のものかというと、全くそんなことはありません。「プラン・インターナショナル」さんの取材をさせていただいた時にも、女子教育の現場で、生まれた時から「女子はこれをやる。男子はこれをやる。家父長はこうだ。母親はこうだ」というバイアスの中から自分たちの価値をどう変えていけるのか、決して上から目線のものではなく、一緒に知恵を働かせながら、模索しながら、それがやがて知識のインフラとして根付いていくというあり様について教えていただきました。この映画ではまさにそうしたあり様が描かれていて、それこそが先進国が学ぶべき課題解決策だなと思いました。

また、原作本で映画の主人公・ウィリアムのストーリーを紡ぎ出しているのは、元AP通信の記者なんですよね。本来のジャーナリズムのあり方だと思いました。現場があって、それをさらに拡散させていく。イメージや言葉にならないものを共有できる形にして出していく責任がジャーナリストにはある。すごくいいタッグでできたんだなと感じました。

馬野)
映画の中のセリフの1つに、「今日からご飯を1回にします」という言葉があります。実際、アフリカのエチオピアやジンバブエに行った時に、村の人がこのように話しているのを聞きました。それを聞く度に胸がぎゅっと締め付けられる気持ちがして苦しかったです。この映画を見ていると、食べるものがなくて死に直面する「飢饉」という状況はいきなりパッと起こるものではなくて、真綿で首を絞めるようにじわじわと効いてくる。この苦しいプロセスの中で、人々がだんだん心配になってくる。命の危険を感じるところまで焦ってくる。そういう緊迫感が、主人公・ウィリアム君のチャレンジの背景としてしっかり描かれているなと思いました。

左から、「公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパン」プログラム部部長・馬野裕朗さん、「株式会社GARDEN」代表・堀潤

(日本語) ■「仕組みづくり」で現地に根付かせ輪を広げるという支援の形

(日本語) 堀)
馬野さんに1つ質問があります。古くからあるものを理解してもらって、そこに根付かせていく作業は、決して一朝一夕ではないですよね。僕が取材させてもらった現場の1つに、パレスチナ・ガザがあります。そこでは、国連からの限られた物資の中で、ガザ地区内の8割の子どもが栄養失調でした。どうしたらこれを改善できるのかということで、ガザ地区内のNPOと日本のNGOが協力し、草の根的に1エリアずつ一生懸命、栄養学の知識を地域のお母さんにトレーニングしていました。そのお母さん方が今度は地域のリーダーになって、さらに広めていく。非常に長い時間をかけ、活動資金も募りながらやっていく。息の長い援助って本当に大変だなと感じました。物資を投入して終わりでは意味がない。「プラン・インターナショナル」さんの現場もまさにそうした現場だと思うのですが、どうやって輪を広げているのでしょうか?

馬野)
ありがとうございます。難しいけれど、とても重要な質問だと思います。僕たち「プラン・インターナショナル」は、途上国で50カ国、先進国は日本を含め20カ国、計70カ国で活動しています。現地では、「子どもを巻き込んだ地域開発の仕組みづくり」という言葉を大切にしています。物を投入して改善すると、その場限りのものになってしまう。そうではなくて、そこに残り、自分たちで回していける「仕組み」を作っていくことを大切にしています。象徴的なのは、お母さんたちによる「母親クラブ」。アフリカの地域や村の中ではお母さんたちが経済的に中心的役割を果たしていることが多いのですが、そのお母さんたちが「貯蓄貸付組合」という「仕組み」に取り組んでいます。定期的に集まり、毎月10円や100円という小さいお金を預ける。組合のグループ内でお金が貯まってくると「今回はあなたに」、またお金が貯まってきたら「次はあなたに」と、あるタイミングで順番に大きなお金を借りる。それによって、10円や100円ではできなかった「道端でレストランを開く」などのビジネスができるようになる。「収入を得て、借りたお金を返して、余ったものを次の投資に回す」というビジネス手法を村の女の人たちが作る。村の経済活性化のための「仕組みづくり」をやっています。

堀)
新しいことをやると、男社会なので、地域のエリアの家父長やお父さん方の方から、「そんなことをやるもんじゃない」「そんなことはさせない」などの圧力もあると思いますが、どう乗り越えるのでしょうか?

馬野)
まず、「案ずるより産むが易し」ということで、女性たちはすごく関心を持つんですよね。周りにいる夫や、おじいちゃんおばあちゃん、村の長老は、「やめろ」とは言わないまでも、「やってもどうせ」と放っておく。でも、どんどん女性たちがやっていく。すると、そのビジネスからリターンがあったり、預けたお金の利子が入ってきたりと、彼女たちの周りでどんどん物事が動いていくのが見えてくる。すると、周りの地域の人たちから、「何か変わっているぞ、すごい」「それ、ちょっと教えて」という声が出てくる。「教えてあげるよ」と仲間が増えていく。そんな中で、夫もおじいちゃんおばあちゃんも巻き込んだ形で、そのビジネスの輪が広がっていくというのをよく見ています。

「公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパン」プログラム部部長・馬野裕朗さん

(日本語) ■「自信」と周囲からの「承認」が「真の力」に

(日本語) 堀)
この映画の中にも、「民主化」「民主主義」というのが1つのキーワードとして入ってきます。僕はよく「民主主義の対義語ってなんだと思いますか」と尋ねます。辞書を調べると、「独裁」「専制主義」「王権制」という言葉が出てくるのですが、僕は「沈黙」だと思っています。たとえ民主化された社会でも、皆さんが恐れてしまったり、控えてしまったり、沈黙させられたりすると、誰かの大きな声によって空気ができ、それによって決定づけられてしまう。まさにそうした中で、声を上げていく、具体的に何かを動かす策として伝えて根付かせていくという活動がすごく大切だなと思っています。この映画のコメントを書いた時、ちょうどベネズエラやスーダンで血を流しながらの民衆運動が続いている最中だったので、コメントではそのことを書きました。独裁政権下で、国際的な援助を受けたとしてもそれが決して人々の生活まで行き渡らず、声を上げようにもなかなか声を上げられないという状況が、ベネズエラのマドゥロ政権やスーダンのバシール政権下では続いてきました。声を上げるのはすごく勇気がいること。どうやって勇気を出していくのかということがこの映画の中でも描かれていますが、よく挫けずにここまできたなと感心しました。馬野さんたちは、精神的に頑張ろうとしている人たちにどのようにサポートをされているのでしょうか?

馬野)
僕たちは、女の子の支援に力を入れています。多くの地域において、「男の子の持っている環境」と「女の子の持っている環境」は等しくありません。学校に行くということに対しても、男の子は学校に通えるけれど、女の子は「お前はもう行かなくていい」と親から言われてしまう。「スタート地点」が違う。僕たちは、女の子の「スタート地点」を男の子と同じレベルに持ち上げようと取り組んでいます。何が大事かと言うと、女の子が「自信」を持つこと。例えば、中国やアフガニスタンの国境付近にある識字率が20〜30%のパキスタンの地域では、文字が読めるようになることが女の子にとって「小さな自信」になる。でもそれは「小さな自信」なんですね。彼女が本当に動き出せるきっかけになるのは、お父さんお母さんから「そんなことできるの?じゃあ、政府から来た紙を読んでくれない?」と頼りにされること。お願いされて、答えてあげた。「女の子も教育をすればこんなことができるんだ」と周りから言われることが、真の力になる。「自信」と周りが「認める」というプロセスが非常に大事です。

堀)
「自己肯定感」は、大事なキーワードです。開発国、先進国問わず、子どもたちの教育の中で「自己肯定感」をどう育むのかが、今すごく大切になっています。その実績づくりを周りがどうサポートできるのかがポイント。NGOのこうした活動はすごく重要です。評価してくれる仕組みや評価してくれる人をどう作るのか。今回、映画の主人公・ウィリアムが成長していく過程でも、そうした「自信」がどのように彼の中で確固としたものに変わっていくのかということも、見どころの1つなのかなと思いました。

また、事前に、絶対的貧困の国と、相対的貧困の国の課題は少し違うのではないかという問題提起をしていただきました。考えていたのですが、絶対的貧困に直面している中では、「食べ物が必要だ」「エネルギーが必要だ」と必要としている未来が明確で描きやすい。一方で、自分たちの望む未来が非常に描きづらいのが先進国の在り方なのかなと思います。日本を含む先進国は、ある程度いろんなものがある中で、自分でさえも何を欲しているのか分からないという違いがあるのかなと思いました。でも、やっていることは一緒なんだろうと思います。自分が見たい未来を誰かに説明できるくらい自分とコミュニケーションが取れているだろうかと。主人公・ウィリアムは、どうすればいいか考え続けていました。それを模索するために教育の機会を一生懸命求めるわけですよね。自分の見たいビジョンをどのように伝えるかという作業も、大切なアプローチとして彼の中に見出しました。

「株式会社GARDEN」代表・堀潤

(日本語) ■違いを理解し、「尊重しあい学びあうこと」

(日本語) 馬野)
この映画では、お母さんが重要な役割を果たすなと感じました。「どんな状況」で「誰が」決断を下すのかということで、その後の影響が決まってくる。この映画で、飢饉に近づいていく環境、命が関わっていく環境の中で、「誰が」「どんな状況」で判断しているのか、そしてその結果どうなるのかということを注意して観ていただいたらなと思います。

堀)
昨年末は、ヨルダンのシリア難民キャンプと、カンボジアの農村部で取材をしました。どちらも人道支援の現場だったのですが、よく動くのは女性たちなんですよね。男性たちが大きな理想を掲げながらもそれが手に入れられずに疲弊し混乱していく中で、身近な誰かを守るための具体的なアクションをしていたのが女性でした。決して長距離なものではなくとも、目の前の成果を丁寧に積み上げている。性差によるものはあまり語りたくない一方、特性としてあるのかなと。そうしたことを考えると、日本を含む先進国のジェンダーギャップは非常にロスをしている。頭でっかちに「こうあるべきだ」と抑え込んでいるような気がします。「多様性」もこの映画の中にすごく含まれていて。世代や性別、地域がもたらしてきた分断をどのように乗り越えていくのかということも、キーワードの1つだと感じました。口で言うのは簡単なのですが、具体的にどういう現場のアクションがあるのかが丁寧に紡ぎ出されていて。さすが、ジャーナリストが取材して書いているなと。ディテールがしっかりされているところも見どころです。

堀)
主人公・ウィリアムは、「希望」でしかない。ついつい、「大人は知っていて、子どもは知らない」という関係性を築きがちですが、それは違いますよね。子どもや若い世代に取材をする時に最近心がけているのは、「世の中こうなっているけど、どう思う?」ではなく、「みんなが知りたいことや知らないことを教えてもらえないかな」と聞くようにしています。それに対して、「僕たちが積み上げてきたものに関してはこういうアドバイスがあるかもしれない。でもうまくいっていなくて。何か考えたいんだよね」と言うと、思わぬ形で「こんなのどう?」と返してくれる。一見突拍子のないようなものでも、「確かにその手があったか」ということを逆に教えてくれたりする。大人が子どもにどういう関わりをするのかというのも、1つの視点として注目したポイントです。

馬野)
堀さんがおっしゃることに大賛成です。僕も同じような気持ちで途上国に行きました。20年近い途上国での経験の中で、年齢の違い、性別の違い、障害のあるなし、民族・人種の違いなど、どんな違いがあっても等しく同じ目線でお互いに尊重しながら対話することを大切にしてきました。それによって学びがたくさんある。それは地域の学びであり、個人の学びであり。それが、主人公・ウィリアム君の行動を引き出したのだと思います。「尊重し合う」こと、「学びあう」ことがキーワードだなと思います。

「公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパン」プログラム部部長・馬野裕朗さん

堀)
フェアであるというのは、すごくイノベーティブだと思います。吉本の話にも触れましたが、一方でメディアで取り上げてもいいかなと思うのは、フェアでないということが何かを殺しているのではないかと感じるからです。この映画でも描かれている「政権と市民社会」の関係にも、圧倒的にアンフェアな状況が見え隠れします。そうしたアンフェアな状況から、シリアでは内戦が始まり、2020年で10年目に入ります。依然として、昨日もシリアのイドリブ市に対して空爆がありました。圧倒的なアンフェアな状況の中で、人々が「それでも何かを変えなきゃいけない」と動いている。そういう中で、日本では選挙があっても投票率がすごく低いというのは、もっと世界の状況に目を向けられないかなと思いますね。ひょっとしたら気づいていないだけですごくアンフェアな状況の中で生きているのかもしれないという視点、足場を作る上でも、もっと海外の情勢に目が向くといいなと思います。だからこそ、メディアも奮闘すべきだと思いました。刺激を受けました。

(日本語) ■開発国で「教育機会の確保」が難しい理由は

(日本語) 堀)
馬野さんはまさに、映画で描かれている時代の頃にマラウイにいらっしゃったんですよね。映画で見える景色をそのまま体感されて来られたと思いますが、約20年前、実際にその当時のマラウイはどのような風景でしたか?

馬野)
政治的には、1994年まで30年間続いた独裁政権が終わり、それまでは服の着方についてまでも「こうするべき」ということがあったのですが、そこから解き放された開放的な感覚がありました。ただ、背景には、この映画にあるように飢饉が迫っている状況がありました。それに輪をかけて大変だったのが「エイズ」です。僕はこの当時3年間教育プロジェクトを担当していたのですが、先生たちがどんどん亡くなっていきました。しかし、当時「エイズ」の名前を知っていたかどうかは分かりませんが、亡くなったことは恥だとされ、亡くなっても親族は思って表に出しませんでした。だから、本当の数字は分からないのですが、2002年/2003年のマラウイの平均寿命は40歳を切り、39歳でした。今は平均寿命が伸びましたが、それでも50歳くらいです。僕が一緒に仕事をした方も亡くなりました。当時は本当にたくさん、将来を担おうとする人材、10代後半/20代の人たちが亡くなり、暗い環境がありました。

堀)
映画の中でも、学校運営や教師の確保、教師の働き方についても少し出てきますよね。教育機会をどのように確保するかというのは大切な課題です。シリアでも、次世代のシリアの人材を作ってくれる先生がたくさん亡くなりました。難民キャンプでも先生を確保するのが大変。知見のない大人たちが先生役をやるのですが、きちんとした教育の技術がないだけに、思わず頭ごなしに言ってしまったり、威嚇することで子どもたちを沈めさせてしまったりと負の循環が起きていて。いかに教育の足場を確保するかということこそ、長いスパンでその国の将来を支えるという意味で、僕らの国にもできることがあるのではないかと思います。それを補うためにNGOの皆さんの活動があるわけですよね。ところが、NGOの最前線の現場が普段から広く伝わっているかというと、非常に限られた情報ソースでしか得られないのは課題。今回、日本から見たらものすごく遠いマラウイという国の話ですが、検索するとトップに外務省のODAについてのリンクなどが出てきます。それを見ると、日本は2004年からいろんな形でマラウイにODAをやっている。ODAは僕たちの税金がベースになっていると考えると、すごく繋がっている地域だなと気が付きます。ぜひそういう機会を共有していきたいなと思います。

左から、「公益財団法人プラン・インターナショナル・ジャパン」プログラム部部長・馬野裕朗さん、「株式会社GARDEN」代表・堀潤

Special Feature Article