(日本語) ■「発展途上国」って?「平和」って?

(日本語) 落合)
こんにちは、落合愛友海です。私は、カンボジアで直接現地の方とお話をしたい、現地の生活の現状を見てみたいと思い、友情のレポーターに応募しました。中学3年生の高校受験の時、兄弟が多くて学習塾に通うことができませんでした。その際、NPO法人「キッズドア」の無料学習支援を受けさせていただくことができました。そこのボランティアの先生方が、お仕事や大学で忙しい中、一生懸命私たちに勉強を教えてくださる姿を見て、「私もこんな先生方のように一生懸命子どもたちの夢や笑顔のために働ける教師になりたい」と思いました。その時ちょうど世界に関心があったことがあって、「発展途上国で教師をしたい」という夢を持つようになりました。しかし、発展途上国の知識を、本やインターネットでしか知らなかったため、直接現地に行って、現地の方々がどういう思いで生活をしているのかということを話して聞いてみたいと思い、カンボジアに行くことを決意しました。

「2018年友情のレポーター」落合愛友海さん

福田)
皆さんこんにちは。福田朱里です。私がこの友情のレポーターに応募した理由は、一昨年の6月、平和授業の一環として安田さんが学校に来てくださり、その内容に大変感銘を受けたからです。私の祖父が被爆者だということもあり、私は小学校1年生の頃から毎年必ず夏休みに祖父から直接被爆体験を聞いていました。私が初めて聞いたのが小学1年生の頃で、私が軽率に尋ねすぎたせいで、祖父は何も教えてくれませんでした。その数日後、祖父は教えてくれたのですが、涙を流していました。いつも笑顔で涙を一切見せなかった祖父が涙を流したこと、亡くなったお姉さんが最後に残した言葉を聞いたことで、初めて事の重大さを理解しました。その後も何度も祖父は話をしてくれたのですが、険しい表情に変わりはありませんでした。回数を重ねていくうちに、「相手の心の傷に触れてそれを探るということはどういうこと何だろう」「平和って一体何だろう」と考えるようになりました。そんな中、祖父は3年前に急に体調を崩し、後遺症として認知症を患ってしまい、話を聞けなくなりました。被爆者の方から直接話を聞けるということは当たり前ではないと思い知らされていた時に、安田さんの講演がありました。いろいろな思いのあった中、安田さんの講演は知らない内容ばかりで、「もっともっと知りたい」と思うようになり、それ以降はインターネットや本、テレビで調べていました。そうしていくうちに、「もっと広い世界を五感で感じ、学べることができたら、『平和』ということに対して自分なりのちゃんとした答えが見つかるのではないか」と思い、応募させていただきました。

「2018年友情のレポーター」福田朱里さん

(日本語) ■タンヴァちゃん:警察に怯えて過ごすか、貧苦にあえいで暮らすか

(日本語) 落合)
まず、私たちがカンボジア滞在中に訪れた「若者の家」について紹介します。ストリートチルドレン、人身売買の被害者、極貧家庭出身の青少年が、安定した居食住と教育、職業訓練を受けることができる自立支援施設、それが「若者の家」です。KnKは2000年から「若者の家」を運営していて、これまでの卒業生は420名を超えます。今回の渡航で「若者の家」で過ごしている子たちと出会い、彼女たちの心の強さや優しさにたくさん触れることができました。実際に会って感じたのは「かわいそう」という同情ではなく、「ひたむきに頑張っている姿を見習いたい」という「尊敬」でした。これから、「若者の家」で出会い、インタビューを受けてくれた3人を紹介します。

福田)
タンヴァちゃんは18歳で、とても親切なお姉さんです。ビューティーサロンで職業訓練を受けていて、将来の夢は「自分でビューティーサロンの店をオープンさせること」だそうです。タンヴァちゃんは、どんな状況下であっても常に隣で寄り添っていてくれます。初めて出会った日は、言葉の壁が私の中ではっきり見えて不安でいっぱいでした。祖父に初めて被爆体験を聞いた時に祖父が流した涙とその重み、残酷な当時の内容によって、相手の心の傷に触れて探ることに対する申し訳なさと恐怖心がありました。なので、インタビューは悪戦苦闘し、なかなか思い通りにすることができませんでした。初めからハードルが高すぎる質問しか出来ず、逃げ出したくなることも多々ありました。聞く側の私が相手より先に泣きだしてしまった中、タンヴァちゃんは嫌な顔一つせず、常に私に寄り添っていてくれて、とても心強い存在になりました。そして、空き時間はいろいろなことをして一緒に過ごすことができ、私を「初対面の人」ではなくて「仲間」として受け入れてくれているようでした。気づけば言葉の壁は無くなり、友情をはるかに超えて、「家族」「お姉ちゃん」の存在になっていました。

タンヴァちゃんはタイで生活していた時期がありました。不法入国だったため、常に警察に怯えていたそうです。他の店で購入した野菜に利益をつけ、それを販売しながら生活していたことを教えてくれました。そこでは2000〜5000バーツ(6700円〜17000円)ほど稼いでいましたが、オーナーさんから実際にもらえるのは250バーツ(850円)くらいだったそうです。「もらった250バーツをどう使っていたの」と尋ねると、「離れて暮らすお母さんに服などを買ってプレゼントしていたんだ」と答えてくれました。もし私がタンヴァちゃんの立場なら、自分のものを優先的に買っていると思います。どんな状況下でも、自分だけでなく常に周りにも目を向けているという姿勢はとても素敵だなと思いました。今回のサブタイトルにもある「尊敬」の1つにも繋がっています。

しかし、その後タンヴァちゃんは結核を患い、カンボジアに帰国したそうです。「タイにいる時は警察に怯えていたけど食料に困ることはなかった。でも、カンボジアに帰ってからは、警察に怯えることはないけど食料の不足に困っていた」とも教えてくれました。その後も生活が貧しくなるばかりで、結果、親戚に勧められて「若者の家」に来たそうです。タンヴァちゃんの家の前は一面に田んぼが広がり、家は周りと比べる大きい方で、室内はとても広々としていました。「タイで生活しているタンバのお兄さんがお金を送ってくれるんです」と、タンヴァちゃんのお母さんは教えてくださいました。インタビュー終了後、火起こしに使う木を切らせていただけることになり、家の裏側へ行き、薪の中でも細い枝を中心に斧のような道具を使って切っていきましたが、初心者の私にとっては刀を当てる部分を一点集中させることが難しかったです。それを体験する以前は「薪を切る作業からしないといけないから、不便でかわいそう」というイメージを持っていましたが、体験にしていくうちに「ボタン1つ、2つで火が付くことが多い日本は恵まれているんだな」と、視点を変えて考えられるようになりました。

火起こしの薪を切る福田さんとタンヴァちゃん©️国境なき子どもたち(KnK)

(日本語) ■ワンダちゃん:18歳の女の子が経験した「物乞い」「逮捕」「暴力」

(日本語) 落合)
ワンダは18歳のお茶目なお姉さん。タンバちゃんと一緒にビューティーサロンの職業訓練を受けていて、将来の夢は「自分のビューティサロンオープンすること」。笑顔が素敵で、気遣い上手。一緒にいるとこちらまで笑顔になれる、そんな素敵な女の子です。しかし、彼女は過去に壮絶な経験をしていました。ワンダが11歳の時に彼女の両親が離婚し、彼女はおばさんに連れられて隣国のタイに行き、物乞いの仕事をしていました。物乞いでは1ヶ月あたり1000パーツ(約2700円)ほど稼いでいましたが、おばさんに取り上げられてしまい20バーツ(約170円)しか彼女の手元には残りませんでした。ある日、不法入国のため警察に捕まってしまい、タイの施設に入れられてしまいました。最初はとても辛くて毎晩泣いていたそうです。そして、「逃げ出したい」とも思ったそうです。でも、そこのスタッフは優しく、食べ物も十分に出してもらえ、今まででは食べられなかったアイスクリームを出してもらう機会もあったそうです。

1年後、タイの施設から、カンボジアのポイペトという町にある施設に移されました。ポイペトの施設にいるスタッフはとても怖く、暴力もあったそうです。食べ物も十分には出ない、そんな環境でワンダは2年間を過ごしました。彼女が15歳になった時、「若者の家」に移され、今の生活が始まったそうです。辛い過去のインタビューの後、そのあまりの残酷さに私は苦しい気持ちになりました。「初めて彼女の過去の話を聞く私でさえこんな気持ちになったんだ。本人はもっと傷ついている。私がインタビューしたことによって彼女を傷つけてしまった」と思い、「辛い記憶を思い出させてしまってごめんなさい」と私が謝ると、「話してる時は当時のことを思い出して泣きそうになったけど、今は話してスッキリしているよ。聞いてくれてありがとう」と彼女が言ってくれました。そして、私の涙を拭いてくれました。ワンダの心は優しく、それでいて強いのだと思いました。

インタビューを受けるワンダちゃん©️国境なき子どもたち(KnK)

(日本語) ■スマイくん:電気もガスも水道もない環境で暮らすということ

(日本語) 落合)
スマイは、バイク修理店の職業訓練を受けている男の子。カンボジア滞在4日目、スマイの家に家庭訪問に行きました。「若者の家」から車でスマイの家へ移動していると、人や車が行き来している舗装された道から、だんだんと舗装されていないでこぼこの道へと変わっていきました。人気が少なく静かな場所に、彼の家はありました。たくさんの兄弟たちとお母さん、そしてお母さんが再婚した新しいお義父さんとそこで暮らしているそうです。家の中には、電気やガスは無く、電気はバイクのバッテリーから引いて、ランタンのようなもので家の中を照らしていました。水道もなく、大きな壺の中に雨水を貯め、料理に使う水や飲料水にするためには、その水を10分ほどかけて火で沸騰させ、綺麗にする薬を入れる必要があるそうです。家は手作りで、雨季には夜中に雨の音が響いて眠れないこともあるそうです。飲料水の作り方を見せてもらうために私とスマイが台所に乗ったのですが、それだけでグラグラしてしまう不安定な台所でした。

料理のお手伝いをしたり、家族がどのように生活をしているのか注目してインタビューをしたりしたことで気づいたことがあります。それは、夜でも明るい部屋で勉強でき、洗濯機で簡単に洗濯ができ、「いつ床が抜け落ちてしまうか分からない」という不安に駆られずに料理ができる、そんな日本では当たり前のことがどんなに幸せなことで感謝をしなくてはいけないことなのかということです。スマイは「若者の家」の近くにあるバイク修理店で職業訓練を受けていて、いつか自分の店をオープンするために今もひたむきに努力をしています。

インタビューを受けるスマイくん©️国境なき子どもたち(KnK)

(日本語) ■初めて出会った「ストリートチルドレン」と、お母さんが警戒する理由

(日本語) 福田)
滞在4日目の夜、マーケット周辺を歩いていると、安田さんが小柄な女の子と会話を交わし始めました。近寄ってみると、「この子がね、『お金をください』って言ってきたんだよ」と状況を教えてくださり、そこで私は初めて「ストリートチルドレンだ」ということを理解しました。その女の子の近くには、他にも2人の女の子と、2人の男の子が立っていました。完全に日は落ち肌寒く感じる中、その子たちは薄汚れた半そでに短パン、サンダル姿で、ポーチを肩からかけ、手にはお金が入ったビニール袋を強く握りしめていました。年齢を尋ねると「10歳」と答えてくれました。初めは恐る恐る私たちの質問に答えていましたが、だんだんと心を開いてくれて、時折笑顔も見せてくれました。

そして、お金をあげるのではなく、すぐ隣で売られていた焼き鳥をプレゼントしてあげることにしました。焼き上がるまでの待ち時間は、安田さんが持っていた折り紙でパックンチョや鶴を折ったりして一緒に遊んでいました。遊んでいる最中、1人の女の子が一緒に折ったパックンチョを持ってお母さんのところへ行き、ニコニコ笑顔でそれを見せていました。やり取りの様子を見ていましたが、お母さんに笑顔はなく、すごく険しい表情。そして、その子が私たちの元へ戻ろうとすると、お母さんは瞬時にその子の腕を握りしめ、留まるように促していました。私たちの後ろで焼き鳥が出来上がる様子を必死に見ていた男の子にも、お母さんは手招きをし、自分の元へ呼び止めていました。私自身最初は、なんでお母さんが我が子を自分の元に留まらせようと必死なのか、よく分かりませんでした。でも、今まで調べていたことを思い返すと、声をかけた人に暴力を振るわれたり、暴言を吐かれたりするケースがあることを思い出しました。お母さんはそのようなことに対して警戒しているのかなと感じました。そうこう考えていると、お母さんと目が合い、私が軽く会釈すると、さらにお母さんは表情を険しくしてしまい、私たちに対して相当警戒している様子が見て取れました。それでも女の子は私たちの元へ戻ってきてくれ、また折り紙で遊ぶことができました。数分後、焼き鳥が出来上がり、それぞれ女の子と男の子の手元へ渡ると、みんな目を星にして一目散にお母さんのところへ行きました。そうすると、お母さんの厳しかった表情は一変。笑顔になり、心を開いてくれたようで、クメール語で「ありがとう」と何度も私たちへ言ってきました。

数十分前に初めてこの子たちと出会うまでは、「ストリートチルドレン」とは本やインターネット、テレビ番組を通しての間接的な関係だったのが、現地で出会い直接的な関係となりました。少し動揺してしまいましたが、一緒に過ごしてお互いの距離を縮められたような気がして、「もっと寄り添っていたい」と、「姉妹」「兄弟」のような親近感を抱く自分がいました。そして、私たちがこうして日本で普通に生活しているまさに今もその子たちは通りかかる人へ声をかけていると思うと、とても心が痛くなります。事前に調べていく中で、「ストリートチルドレン」に対しては明るいイメージがなく、暗いイメージを抱きがちでした。でも、出会った子たちは時折笑顔を見せてくれ、私自身、本やインターネット、テレビ番組の小さな世界を信じすぎ、洗脳されていたんだなと感じさせてくれました。

マーケットで出会った「ストリートチルドレン」©️国境なき子どもたち(KnK)

(日本語) ■ラタナーちゃん:彼女はなぜ学校を諦めゴミ山で働くのか

(日本語) 落合)
カンボジア滞在5日目、私たちはバッタンバン州で1番大きなゴミ山を訪れました。そこには、山のようにあるゴミの中から使えそうなものや売れそうなものを探している人が、性別、年齢を問わずたくさんいました。鼻をつまみたくなるような匂い。ガラスの破片や汚染された液体がそこら中にある道。新しいゴミを運んできたトラクターに我先にと集まる人々。見たことのない悲惨な光景に、驚くことしかできず、言葉が出ませんでした。そんな中、同行してくださった方が、近くにいた幼い男の子に「何歳なの?」と声をかけました。すると、男の子はうつむきながら「わからないよ」と答えました。「もしかしたら、生まれた時からここにいて、年が分からないのかもね」と同行した方がおっしゃいました。男の子の険しい表情が変わることはなく、私はどうしていいのか分かりませんでした。

カンボジア・バッタンバン州のゴミ山©️国境なき子どもたち(KnK)

近くにいた別の子が集めていたゴミを別の場所に運び始めたので、どこに行くのか知るために着いて行くことにしました。すると、その先には家がありました。窓や扉のない小さな家に、大勢の家族が住んでいました。私たちは、家の中にいたラタナーという14歳の女の子にインタビューすることにしました。彼女は、ゴミ山の麓にあるNGOが運営している学校に5年前まで通っていました。しかし、弟が生まれたりしたことで家計が不安定になり、ゴミ山で働き、親の代わりに兄弟の面倒を見なくてはいけなくなりました。学校の先生と過ごした時間は彼女にとって特別なもので、「もし叶うなら自分も学校の先生になりたい」と、彼女は話してくれました。

インタビューをしている最中、ラタナーの手の中にはオレンジ色のマニキュアがありました。聞いてみると、「これは、ここにあるゴミの中から拾ったの。私はマニキュアを塗るのが好きではないけど、お母さんやお姉さんが塗るのが好きだから、プレゼントしようと思って拾ってきたのよ」と話してくれました。ふと彼女の足元を見ると、さっきまでゴミ山で働いていたため、たくさんのハエが止まっていました。1日中必死に働いても、彼女の収入はたったの2.5ドル。私たちがゴミ山に行くために買った長靴は約3ドル。「過酷な状況にあるにも関わらず、ラタナーは家族想いで優しい。ラタナは過酷な環境の中でも希望を持って、1日1日を大切に生きている。でも私はどうだろうか。彼女のことを見習わなくてはならないことがたくさんあるのではないだろうか。もしラタナちゃんが毎日学校に通うことができ、彼女が好きなことをできる時間があったら、彼女はどのように1日を過ごしていたのだろうか」。そんな思いが私の頭から離れませんでした。日本に帰ってきてからも、ラタナーのことが頭の中から離れません。

私は今まで、「学校に行けない子どもたちは、無料で通える学校が近くにあれば勉強をすることができる」と思っていました。しかし、学ぶ環境が整っていても、子どもが学校に行ってしまうと、親にとってはお金が入ってこなくなる、赤ちゃんの面倒を見る人がいなくなってしまう、という問題が起こってしまい、家族が生活出来なくなってしまいます。だったらどうすればいいのか?「児童労働」の問題がこれほどまでに根が深く、解決が難しいものだとは思っていませんでした。

ラタナーちゃんにインタビューをする落合さんと福田さん©️国境なき子どもたち(KnK)

(日本語) ■「かわいそう」が「尊敬」に変わった、大切な出会い

(日本語) 福田)
私自身、カンボジアに行くまでは、「発展途上国と先進国」という関係が頭の中で定着してしまっていて、「途上国の人は生活が貧しくてかわいそう」と思うことが多々ありました。でも、「かわいそう」と自分が言われた身になると、上から目線な言葉に聞こえます。実際に現地へ行って五感で感じることによって、「本当にかわいそうなのかな」と考え直すようになりました。特にタンバちゃんとスマイくんの家への家庭訪問。2人の家に電気製品はなく、全て手作業で、時には近所の人と協力し合って家事をしていました。逆に、日本の家には至る所に電気製品があり、可能なことはそれらに任せています。「発展途上国の人たちがかわいそう」なのではなく、「先進国の人たちが経済的に過度に恵まれている」と思うようになりました。

皆さんも先入観に囚われすぎず、ふとした瞬間に「なんで自分はこういう考えを持っているんだろう」と自分自身に問いかけてみてください。そうするだけで、新たな見方を得ることができ、新しい世界が広がると思います。それはもちろん、現地に行かなくとも、誰でもできることではないでしょうか。「発展途上国」「先進国」という言葉が成り立っている以上、そこには大きな格差があるのも事実です。発展途上国の人たちの中には、「先進国の人たちに、自分たちのことに少しでも関心を持ってもらいたい」と思う人も多いと思います。でも、先進国の人たちは、偏見を持っていたり、無関心だったりします。発展途上国と先進国の人たちの間で、関係がうまく築けていないのではないかと思います。「ストリートチルドレン」の子たちに会った際も、その子たちのお母さんが「我が子は騙されているのではないか」と不信感を抱き、険しい顔で私たちの行動を見ていたのではないでしょうか。でも、最後に焼き鳥をプレゼントしたことにより、お母さんは「私たちが関心を持ってくれている」と確信し、笑顔を見せてくれたんだと思います。

だからこそ、世界にもっと目を向けることが必要だと思います。発展途上国で支援、取材をしている方々が発信する情報に耳を傾けてみてください。これこそが「知る」という1つの支援となり、その支援は「安心」や「信頼」をもたらすと思います。冒頭で、「『平和って何だろう』という問いが友情のレポーターに応募するきっかけの1つになった」とお話をしました。私は「平和」というのは、ただの「平和」という文字ではないと思っています。「平和」の「平」という字には、「平等」「対等」の意味があり、「平和」の「和」という文字には、「穏やか」という意味が含まれています。だから、皆さんが世界のことを知ることで、暮らしやすい穏やかな「平和」な世界に繋がるのだと思うようになりました。

落合)
私は、カンボジアで学び、皆さんにシェアしたい考えが2つあります。1つ目は、「幸せの形は、環境や状況により人それぞれ違う」ということです。滞在5日目にゴミ山に行き、その悲惨な状況を見た時、「ゴミ山は無い方がいい。焼却炉の技術を広めればゴミ山を無くすことができるのかもしれない」と考えるようになりました。しかし、それをスタッフの方に話すと、「でも、ゴミ山があるスラム街は、ゴミ山が無いスラム街より犯罪が少ないんだよ。ゴミ山の仕事は確かに危険が伴うけれど、物乞いなどの仕事と比べたら収入が安定しているんだよ」と教えてくれました。「ただゴミ山を無くすというだけでは、現地の方を不幸にするだけなんだ」と知り、「相手のためにしようとしたことが、逆に相手を苦しめてしまうこともある。だから、自分の考えを相手に押し付けてはいけないんだ」と思うようになりました。また、「若者の家」の卒業生であるロウさんにこんなお願いをされました。「物乞いをしている子どもたちや、物売りをしている子どもたちから、物を買ったり、お金をあげたりしないで欲しい。子どもにお金をあげてしまうと、それで仕事が成り立ってしまい、学校で勉強する必要がなくなってしまう」と。その考えを聞いて、私は「なるほどな。現地にいる人にしか分からないことだな」と思いました。

2つ目は、今回の報告会のタイトルにもあるように、「カンボジアに実際に行って感じたのは、『同情』ではなく『尊敬』だった」ということです。日本で生まれ生活をしていると、カンボジアの質素な暮らしや、「若者の家」で生活をしている子どもたちの暗い過去を「かわいそう」だと思うかもしれません。私も、実際に自分自身が話をして一緒の時間を過ごすまでは、彼女たちの未来に向かってひたむきに頑張る努力を知ることができず、「かわいそう」と心のどこかで思っていたのかもしれません。しかし、彼女たちのひたむきな努力を知り、その姿に感動し、尊敬をするようになりました。そんな彼女たちの素敵なところを、皆さんにも知ってほしいです。

(日本語) ※「友情のレポーター」について:https://gardenjournalism.com/project/knk/

※第33回「友情のレポーター」(2019)募集について:https://gardenjournalism.com/report/knk-repo19/

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