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(日本語) 【子ども支援】日本一の富士山で、未来を担う東北の高校生たちを力づけたい

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https://youtu.be/n3y7YzfecoI

↑第2回(2013年)「東北の高校生の富士登山」動画 撮影:川崎彰子


登山家・田部井淳子さんの呼びかけで始まった「東北の高校生の富士登山」プロジェクト。第8回目となる富士登山が、7月23日からの2泊3日で開催され、今年も東日本大震災で被災した東北の高校生105名が富士山の頂上を目指します。(現在、クラウドファンディングで支援を募集中→ https://bit.ly/2Y2lFJL

福島県三春町出身の田部井淳子さんは、1975年に世界で初めて女性としてエベレスト登頂に成功した日本人登山家。2016年10月20日に他界するまで、76か国の最高峰・最高地点に登頂しました。

人生最後の登山となったのは、「東日本大震災で被災した東北の高校生たちを力づけたい」と2012年に立ち上げた「東北の高校生の富士登山」プロジェクトでの富士登山でした。最後まで、富士山の頂上へ向かう東北の高校生たちを励まし続けたといいます。

登山家・田部井淳子さん。エベレストの頂上で撮影した写真。

田部井淳子さんのご子息であり「一般社団法人田部井淳子基金」代表理事・田部井進也さんは、田部井淳子さんがプロジェクトの開催地として富士山にこだわった理由をこう話します。

「母が初めて山に行ったのは、小学生の時の那須岳(栃木県)と言われています。自分たちの故郷から離れた場所に行った時、今まで見たことない光景が広がっていたらしいんです。小学生って、自分たちのエリアってすごく狭いじゃないですか。そこから一歩出た時に、例えば那須岳は活火山なので、『地面があったかい』とか、『噴煙が出ている』というのを見て衝撃を受けて。『この先はどうなっているのかな』という冒険心から登山を始めたと話していました。きっと母は、それを彼らに感じて欲しいんじゃないのかなと。自分たちのエリアにいるんじゃなくて、富士山に行って『日本一』を感じた時に、何かを感じてくれるんじゃないかという思いで始めたのだと推測して、このプロジェクトを進めています」。

田部井進也さん自身、東日本大震災では福島県内で被災。福島の子どもたちに対して「責任」を感じていると話します。

「東京と福島の温度差は感じますし、福島の中でも温度差をすごく感じます。『忘れちゃいけない』という気持ちと共に、今はこういうプロジェクトをやっていけたらと思います。福島の第一原発事故は、東京電力だった。福島の子は何もしてないのに犠牲になって。当時僕らも福島にいたのですごく感じますが、『外で遊んじゃダメ』とか、『ガイガーカウンター(放射線測定器)をつけて遊ぶ』という規制をしてしまったのは大人。その大人が責任を取るには、彼らが自由に遊べる空間を作るとか、チャンスを与えてあげることなんじゃないかなと感じています」。

「一般社団法人田部井淳子基金」代表理事・田部井進也さん

■「本気で向き合ってくれる大人」と出会える場を

第7回となる2018年の「東北の高校生の富士登山」には、岩手、宮城、福島の計38校から96名の高校生が集まりました。

「学年も部活動もみんなバラバラ。学校行事ではないので、強制ではない。本当にすごいなと思うのが、募集チラシを学校に置いて、それを子どもたちが見て参加してくるんですよね。それってすごくないですか?すごい一歩を踏み出していると思う。踏み出したことの重要性を伝えていきたいなって思いますね」と、田部井さん。

一歩踏み出した高校生には、いろんな大人と出会い、「もっと色んな目線で見てもらいたい」と話します。

「高校生って、大人との接点が異常に少ないなと思っていて。結局、親、学校の先生、習い事の先生など、基本的に先生が多い。(参加する高校生は、)就職とか進学に関してすごく悩んでいるんですよね。だけど、学校で相談すると、やっぱり『先生と生徒』。だけど、ここだと、人生の先輩が目の前で歩いている。例えば、看護師さん、お医者さん、山のガイドさん、山のメディアの方、一般企業に勤められている方など、いろんな職業の方たちが集まっている。そういう大人を見られただけでも、『こういう仕事があるんだな』と分かる。『富士山に登らせたい』という大人が集まっているので、本気の大人の姿を彼らに見せられると思う。僕らは『お客様』でもないし、『先生と生徒』という間でもない。『仲間』として富士山に行くぞと」。

昨年の富士登山の様子。富士山山頂にて登頂を果たした東北の高校生をねぎらう。©︎一般社団法人田部井淳子基金

この想いに至った背景には、田部井さん自身、高校生時代に「本気で向き合ってくれる大人」との出会いが人生を変えてくれた経験がありました。

「僕自身、高校を卒業するのに6年かかったんです。1回留年して退学して。1年間ふらふらして。それから高校入り直して。実は、20歳で高校生でした。それを変えてくれたのが周りの大人。本気で向き合ってくれる大人がいたから、高校に入り直そうと思いました。それがなければ今も中卒でもがき苦しむしかなかったけれど、その方に出会って、高校進学できて、結果的に大学行けて、大学院に行けて、最後は国立大学の研究室所属にもなって。やっぱりそこのチャンスが大きかった」。

「一般社団法人田部井淳子基金」代表理事・田部井進也さん

■筑波大学との共同研究で見えてきた、登山後の高校生の心理的変化

田部井さんは、富士登山による高校生の心理的影響について、筑波大学渡邉仁研究室との共同研究を始めました。研究は継続され今後も調査が続けられますが、2018年の初回の調査では、「『一連の富士登山プログラム』の経験が、参加高校生の状態自尊感情(状況になって変化する自尊感情)を高めた」と考察されています。

高めた要因の一つとして、仲間として「受け入れられた自認した経験(受容経験)」が挙げられています。また、研究報告書には「日本最高峰という『象徴性』、困難な登山を完遂した『達成感』、山頂絶景への遭遇という『神秘性』、参加高校生と同行スタッフの全員が上りきった『一体感』などの記述が多数あり、非常に興味深い」との記述があり、富士登山という貴重な経験が、高校生の気持ちに変化をもたらしたことが推測されています。

田部井さんが最も印象に残っていると話すのは、2012年の第1回「東北の高校生の富士登山」に参加した男子高校生。

「1回目の時に、やんちゃっぽい男の子がいて。登り始めたら、『めんどくせえ』『だりい』と言い始めて。『自分が申し込んだんだろ。俺はお願いしていない。だったら、ぐちゃぐちゃ言わないで登れ』と対等に話をしたら、『ああ』と言いながら登り始めて。結果的に頂上に着いた時、携帯電話で誰かに連絡をしていました。後日お母さんからお手紙をいただいたのですが、『頂上登れたよ』とメールをした相手は、実はお母さんだったんです。『息子からの初めてのメールは富士山の頂上からでした』と。そして、そのメールを送った携帯が、津波で亡くなったお父さんの携帯からだったんです。お父さんの形見で、お母さんにメールしていたんですよね。それを知った時、あんなに強がっていたのに、心の中に持っていたものを、思春期の多感な時期に表現できなかったんだなと。でもここで『富士山登れたよ』とお母さんに伝えられたのは、一歩前進したことなんだろうなと思います」。

下山後に参加した高校生が横断幕に書いたメッセージ。

■佐藤優之介さん(2015、2016年参加) 心に刻まれた田部井淳子さんの言葉と思い

佐藤優之介さん(福島県立福島南高等学校卒業)は、2015年、2016年の2度、富士登山に参加しました。2015年は悪天の影響で6.5合目までしか行けず、翌年も特別に参加が許され、登頂を果たしました。

佐藤優之介さん(2015、2016年参加/福島県立福島南高等学校卒業)

東日本大震災当時は、小学5年生。通っていた福島市立福島第一小学校で被災。

「鮮明に覚えています。先生が『机の下に潜って』と言う前に自分たちで自ら潜っていたくらい大きな地震で。校庭に出されて。仲良い近所のおばさんと再会した時に、『元気でよかったね』っていう言葉を交わして。そこからはずっと自分の学校が避難所になったので、そこで過ごしました」と、佐藤くん。

登頂できなかった1回目の富士登山の際に田部井淳子さんがかけてくださった言葉が、未だに胸に刻まれていると話します。

「田部井淳子さんがおっしゃっていた言葉『一歩一歩歩けば必ず頂上にたどり着く』を経験させたいからこそ、これを続けているという面もあると思っていて。僕たちが登れなくなった時、『どうしてもそれを経験させて、東北の高校生に足跡を残していって欲しい』と、6合目から7合目を目指して。7合目付近は、本当に風が強くて雨が痛いほどだったんですけど。その危険すれすれの天候の中、僕たちのペースを見ながら『7合目までは登らせてあげたい』という淳子さんの思いもあって登らせていただいて。自然の脅威もそうだけど、淳子さんの熱い思いを感じられて。これはもっと大切にしていきたいなって思いました」。

富士登山の様子。佐藤優之介さん(2015、2016年参加/福島県立福島南高等学校卒業)撮影。

佐藤さんは、現在東北大学工学部の2年生。再生可能エネルギーに関わる仕事をするのが夢です。

「福島県の事故もあったので、新しいエネルギーについて考えられればいいかなと思うのと同時に、やっぱり田部井さんを見てきて、今のうちにやれることは経験して頑張っていきたいなと考えていて。ボランティアもそうだし、自分でできることをやっていきたい」。

下段中央でポーズを取っているのが、佐藤優之介さん(2015、2016年参加/福島県立福島南高等学校卒業)。2016年の富士登山の際、頂上で記念写真を撮影する様子。佐藤優之介さん提供。

■鈴木千紘さん(2014年参加) 「初めから諦める自分を変えたくて」

鈴木千紘さん(福島県立田村高等学校卒業)は、2014年に富士登山に参加しました。

鈴木千紘さん(2014年参加/福島県立田村高等学校卒業)

「田村高校の先輩でもあり憧れだった田部井淳子さんと一緒に富士登山できるということで、興味を持ったのがきっかけでした。その時は、何事にも挑戦する前から『ちょっと自分にはできなそうだな』と初めから諦めている自分がいたので、自分を変えるきっかけになったらいいなと思って参加しました」と、鈴木さん。

東日本大震災当時は中学2年生、ソフトボール部に所属していました。

「急に震災が起こって。ちょうど部活も楽しい時期でやっていたので、『このまま皆とバラバラになっちゃうんじゃないか』とか、いろんな不安がありました。せっかくチームもいい感じにまとまってきて、新人戦に向けて頑張ろうという時だったので。学校生活も、『大切な仲間と過ごせないんじゃないかな』という思いがありました」。

2014年の富士登山では、田部井淳子さんの言葉に鼓舞され、見事に登頂を果たしました。

「登頂まで本当に辛くて何回も戻ろうと思ったんですけど、みんなと支え合いながら、田部井淳子さんにかけていただいた『一歩ずつ』という言葉を合言葉にして登りました。頂上に着いた時の景色は忘れられないです。今まで見たこともない綺麗な景色で。本当に神秘的で。すごい達成感もありました」。

中央の緑の服を着た女性が、鈴木千紘さん(福島県立田村高等学校卒業)。2014年の富士登山の際、頂上で田部井淳子さんと記念写真を撮影する様子。©︎一般社団法人田部井淳子基金

今年の4月から、福島市内の病院で看護師として働き始めた鈴木さん。登山前は何事も挑戦する前から諦めていた鈴木さんでしたが、「どんなことでも興味を持ったことに挑戦してみよう」と、看護師と養護教諭の免許をダブル取得しました。

「高校生の頃から看護師になりたいと思っていました。でも、外で遊べなかったり、転校した先で孤立してしまったりしている子どもたちと関わって、そんな子どもたちを保健室から支えられたらと養護教諭も目指したいと思って。看護学校を出て、大学に行って養護教諭の免許を取って。富士登山する前の自分だったら『看護師でいいや』となっていたと思うのですが、『やりたいことは挑戦してみよう』という気持ちになれたので、両方取りました。勉強も実習も大変な時もあったのですが、辛い時に『一歩ずつ』という言葉に背中を押してもらいました」。

手前右側が、鈴木千紘さん(2014年参加/福島県立田村高等学校卒業)。今年4月から福島市内の病院で看護師として働き始めた。鈴木千紘さん提供。

■「参加費3000円」にこだわる理由

実際には、高校生を東北から2白3日で富士山に連れて行くには、バス代、宿代、登山装備一式のレンタル代、登山ガイド代などを含め1人あたり8~9万円かかります。しかし、高校生のお小遣いで参加できるよう、参加費は3000円を貫いています。その差額分は、全国からの支援や協賛を募ることで補ってきました。(現在、クラウドファンディングで支援を募集中→ https://bit.ly/2Y2lFJL

「富士山までのバスの中で、『本来であれば8〜9万円かかるけど、みんなの参加費は3000円だよね。その差額は、本当に多くの人たちが寄付をしてくれたんだよ』と、必ず話すようにしています。『支援慣れ』されても困るので。震災があって、助けてくれるのが当たり前になってしまうのは良くないと思っていて。10年後、自分が成長した時に、今度は支援する側に回って日本を支えてくれる人材になってくれたらという思いで、必ず話しています」と、田部井さん。

その思いは、確実に参加した若者たちに届いています。

「実際に(田部井さんが開催したイベントで)ボランティアをさせていただいた際に、『運営するってこんなに大変なんだ』と知りました。今私たちにできることは何かなと考えて、(富士登山の)事前説明会でお話しさせていただいて。今度は支える側に立ちたいと思っています」(鈴木さん)。

「行きのバスの中で、進也さんが思いを込めて『こういう風に支えてくれる人がいるんだから、みんなも真剣に登ろうぜ』という強い言葉をかけてくださって。『頑張っている人のことはみんな支えようとしてくれるんだな』と思って。今後も続けていくためにはそれが不可欠だと思うので、自分自身も含めてみんなで支え合っていければいいかなと思っています」(佐藤さん)。

富士登山まであと1か月というタイミングで、先月(6月22日)郡山にて行なわれた事前説明会の様子。*今夏富士山を目指す東北の高校生たちが準備の説明を聞いているところ。©︎一般社団法人田部井淳子基金

■参加した高校生が創るこれからの東北に期待して

「東北の高校生1000人誘うまで続けたい。参加した高校生たちが10年も経って大人になったら、それは、どこにいたとしても東北復興の力になるはず」と語っていたという田部井淳子さんの遺志を継ぎ、これからも「東北の高校生の富士登山」プロジェクトは続いていきます。

「継続していくことの重要性をすごく感じます。続けることによって輪が大きくなっているのをひしひしと感じます。今も、のべ575人のOB・OGの子たちがいてくれて。『無事成人しました』とか、『結婚しました』とか『子供が生まれました』とか写真で送ってくれるんです。実際、僕らは3日間しか一緒にいない。3日間しかいなかった大人に対してそんなことするのかなって考えた時に、彼らの中に与えられた影響は大きかったのかなと感じます。そういう風にインパクトを与えて、彼らの人生にとって『すごく良かったな』と思えるプロジェクトにしたいなと思います」(田部井さん)。

「富士登山は、高校生が人生の糧になるような何かを見つけられる最高な機会です。本当に多くの方の支えで成り立っていることは知っていて。これから先もずっとこの素敵なプロジェクトを続けるために、皆さんの協力をよろしくお願いします」(鈴木さん)。

「同じ同世代の仲間と一緒に、温かい言葉を大人の人にかけてもらいながら、ゆっくりゆっくり上がっていったあの経験は、高校生の時代にしかできないし、富士登山でしかできない。それを高校生のうちに後輩たちに感じて欲しいなと思います。1人で申し込むのは大変かもしれないけど、そこには必ず仲間がいる。『行きたい』と思ったら踏み出してほしいと思います」(佐藤さん)。

一歩踏み出すきっかけとなっている「東北の高校生の富士登山」。これからの東北を創る若者が挑戦できる機会がこれからも絶えず続いていくよう、たくさんの支援・応援が必要とされています。クラウドファンディングは、2019年8月8日まで(リンク→ https://bit.ly/2Y2lFJL)。

2018年の富士登山の様子。富士山登頂後、六合目で撮った全員写真。©︎一般社団法人田部井淳子基金
(日本語) 一般社団法人田部井淳子基金

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