「私は恵まれている方というか、家族も失ってないし、家もありますので、周りの人よりはまだマシと言われますけど。でも周囲には、家を無くした親戚もいますし、家族の一人を無くした友だちもいます。」
2017年7月から国際NGO「AAR Japan(難民を助ける会)」に新しく迎えられたシリア人スタッフのラガド・アドリーさんはこう話す。2010年に千葉大学に1年間の留学をしている際に母国で紛争が勃発。一年後に帰国すると、全く違う景色がそこにはあったと言う。
シリアで紛争が始まって6年以上。2016年7月に勃発したクーデター未遂事件後、トルコ国内の多くのNGOが閉鎖された。また、紛争が長期化する中で、日本国内でも、「緊急性が低くなっている」という理由で、公的機関からのシリア難民支援のための助成金が少なくなるという事態が発生している。
しかし、500万人を超えるシリア難民のうち約300万人が流入しているトルコ国内で、難民の支援を続けるAAR Japanのトルコ駐在員・五味さおりさんは、「シリア難民支援を行うアクターが減って来ているので、私たちが支援を差し伸べなければならないシリア難民の方が増えているのが今非常に大変な状況です」と話す。
■脆弱な難民、「言語の壁」がトルコでの避難生活に追い打ち
「特に障がい者の方であったり、児童労働に携わっている子どもであったり、非常に支援の手が行き届きにくい、脆弱な難民が多い」と、五味さん。
難民の方は「難民キャンプ」で生活をしているというイメージを持たれている方が多いのではないだろうか。しかし、2016年4月時点で、トルコで暮らすシリア難民の約9割が、現在難民キャンプ外で生活をしているというデータがある。(※1)
「街中にアパート一室に15人くらいが詰め込まれて住んでいたり。誰も収入源がない、特に親の仕事が見つからないケースが非常に多いです。父親も働いていない、母親も働いていない、だけど家の家賃は払わないといけない。がむしゃらに生きないといけないということで、仕方がなく子どもを働かせている親の方が非常に多いです」と、五味さんは話す。
一時的保護制度という枠組みの中で、トルコでシリア難民の子どもたちが学校に通うことは可能だ。しかし、こうして家族の中で稼ぎ頭となり、どうしても学校に通うことが叶わない子どもたちもいる。理由はそれだけではく、「制度上の問題でそもそも学校に編入する手続きの仕方がわからず、手続きしたとしても6ヵ月待ち」という状況や、「トルコ人の現地の子どもたちによるいじめ」もある。
しかし、1番の課題は「言語の壁」だ。シリアではアラビア語を話す一方で、トルコではトルコ語を必要とされ、学校に行けたとしても授業についていけない子どもも多い。
学校に行けなくなった子どもたちの選択肢は非常に狭く、厳しい。
「家でずっといて友だちも作らず、もしくは何かの役に立とうとして児童労働にいく、特に女の子で多いのが早期婚。親たちが女の子たちの将来を心配して結婚させてしまう」。また、反政府軍からの勧誘で兵士になる子どもたちもいると、五味さんは教えてくれた。
■コミュニティーセンターで、「持続性」のある人と人との関係性の構築を
AAR Japanは、トルコに住むシリア難民の「人と人との繋がり」の構築のため、トルコ南東部でコミュニティセンターを運営している。
シリアで暮らしていた際のご近所さんや友人、親戚などの関係性がなくなった状態でトルコに逃れて来たシリア難民の方々。「NGOの活動が万一停止したときに何が残るか、何が持続するかを考えると、人と人とが協力し合うという精神だと思う。難民同士でいかに助け合うか、もしくは地元に住むトルコの方々と協力しながらいかに生き延びていくか」と、五味さんは話します。
人と人との関係性を再構築することで、長期化するトルコでの避難生活を少しでも改善させていくことが、AAR Japanのコミュニティーセンターの狙いだ。「地域のコミュニティセンターが一軒あるだけで、気軽にそこに行って友人を作ることもできますし、新しい知り合いを作って情報交換をすることで、今までの生活をよりよくすることはできます」。
コミュニティセンターの中で、シリア難民同士のコミュニケーション、もしくはトルコ人との関係性を構築するために、AAR Japanは様々なプログラムを提供している。料理教室や手芸教室、子どもたちの絵や音楽の教室などの文化的な講座。また、「言語の壁」という大きな課題を解決するために、トルコ語講座やアラビア語講座も行っている。
「本当に今はコミュニティセンターが唯一の楽しみだと言っていただけた」と五味さん。トルコに住むシリア難民にとって、AAR Japanのコミュニティセンターは心の支えになっているようだ。
■日本だからできること 一人ひとりができること
「現地で活動していて日本人でよかったなと思うのはトルコ人の方からもシリア人の方からもすごく好意的に見て下さる。日本人の方はすごく真面目で誠実だという印象をどちらの方からもお持ちいただけているので、すごく活動しやすい。そういったイメージを持っていただいているからこそ、日本から何か手を差し伸べることがすごく重要」と、五味さん。
母親がJICAで働いていたというラガドさんは、「日本人の方もいらっしゃって、そこで色々と日本のことを知り、とても日本という国に興味を持ち始めて」と話す。
日本が続けて来た人道支援活動が作り出したジャパンブランドは、平和構築に寄与しているのだ。
ラガドさんは、7月からAAR Japanトルコチームの一員として働いている。「できることから何でもやりたい」と意気込み、その上で私たちひとりひとりのアクションも呼びかる。
「みんなが個人個人のできることをやっていただければ。例えば、寄付金のできる人は寄付を、何か得意な人はシリア人にそれを教えていただければ。あるいはメディアの人はそれを伝えてほしい。それぞれの立場でできることがあります」。
そして、ラガドさんは最後にこうメッセージを残した。「私たちのことを忘れないでください」。
(※1)http://reliefweb.int/sites/reliefweb.int/files/resources/TurkeyFactSheetJune2017-EN.pdf