https://youtu.be/tR3mNOYEQkk
2016年度に全国210の児童相談所が児童虐待として対応した件数が速報値で12万2578件となり、過去最多となりました。相談ダイヤル189(いちはやく)の普及やメディアを通じての啓発が功を奏し対応件数が増えたともいえますが、多くの子供たちが虐待にあっている実態があらためて浮き彫りになりました。
そうした中、2017年7月で法人化して1周年を迎えたNPO法人PIECESの代表・小澤いぶきさんと副代表・荒井佑介さんに堀潤がインタビューをしました。子どもの「日常を一緒に作る」という支援の形とは?
■PIECES代表・小澤いぶきさん 医療の「もっと前にできる予防もある」
堀)
子どもの問題って、子どもの問題というよりは、実を言うと大人とか社会とか、そちら側の問題ってすごく深いんじゃないかなと。僕はNHKに元々いたんですけど、なんでやめたかと言うと、報道側が「こうするべきだ」と言うだけではなくて、「当事者が何ができるのか」というアクションの話をもっと投げかけて、一緒になって当事者意識を持って「私たちが解決するんです」みたいな人が増える報道になれば良いなと思っていたんです。だから、飛び出して自分でやるという思いに共有してくれるメディア人たちと一緒に仕事をしようと。「何やってくれるんですか?」「なんでしないんですか?」という社会よりも、「私がやってみます」みたいな。そういうふうに思ってたので、みなさんが自助とか公助とか、社会に当事者性のあるものを作っていきたいということを伺って共感しました。今日は色々教えていただけたらと思います。活動を始めて一年?
小澤)
NPO化してから一年ですね。
堀)
どうしてこの分野、虐待や貧困やいろんなテーマ性に目が向くようになったのか。PIECES立ち上げの原資を教えて欲しいです。
小澤)
私は児童精神科医として、医療分野でずっと仕事をしてきた経験がものすごく大きくて。メンタルヘルスというのは、身体に傷ができて、というようなものとは違って目に見えづらいので、医療にかかるときには、困難が積み重なって、しんどい状態になっていることも多かったんですね。もちろん、「医療が必要だ」と養育者や子どもに関わっている人が気づいてきてくださることもあって早くにケアにつながることもありますが。実際、関わる子の中には、実は家の中で誰からも関心を向けられなかったり、言葉の暴力があったりする中、それを誰にも気づいてもらえないという状況を生き抜いていた子もいました。何度も心に傷を負うようなことが続き、けれど頼れる人もいない状況を生き抜いてきていて。人生のある時期に、安心できない環境で過ごさざるをえないことで、その後の人生に影響がある中で、そこへの予防がまだ未整備なのをなんとかしたいと。そして、現在だと、もし仮に、安全な環境への移行を考えましょうとなっても、今はまさに変化しようとしているので、これからは変わると思いますが、安全な環境に移るまでに一時的に保護される場所では、学校に行くことができなくて機会が奪われてしまったりとか、施設に行く時に、元々あった自分の地域とのつながりが切れてしまうとか、その子の責任ではないのに、縁や機会が奪われていく構造にも疑問を持っていたんです。それを、親の責任論に終始してしまったり、児童相談所だけを責めるなど、どこかをスケープゴートにしてしまうということも起こりがちなのですが、それでは何も変わらない。システムを変えていかなければいけないことはもちろんですが、システムを変えることと、スケープゴートにすることは違うので。親御さんも実は、周りに頼るネットワークがないから起きていたということもありますし、児童相談所などの専門機関の逼迫を知り、どこかだけをスケープゴートにしているだけではなかなか社会が変わっていかないんじゃないかなということがあります。
堀)
そうですね。
小澤)
また、実際に子どもが来てくれて、医療の中でできることはもちろんあるけれど、もっと前にできる予防や、医療でのケアの後にできる予防もある。1つの機関とか、誰かだけが子どものことに関わるんじゃなくて、もっといろんな人が自分の手で子どもの育ちに小さくても関わっていくという、民主主義の原点だと思うんですけど、そこがなされていったら、そもそも生まれた環境に関わらず、子どもたちは困難があってもなんとかなっていくんじゃないかな、希望をもてたり、幸せにつながる道ができるんじゃないかと思ったのがきっかけで。実際、子どもの日常に、安心して信頼出来る、そして自分を信頼してくれる他者がいることで成長していく子どもたちから学んだことはとても多いです。なので、より予防的な活動をしていきたいと思って、NPOを立ち上げたというのがあります。
堀)
医師として関わる中で、具体的に「これはいかん」「これはもう次のアクションが必要だ」という具体的な体験があったんですか?
小澤)
そうですね。関わっている子の中には、例えば、虐待を受けた子もいれば、発達の特性があって、学校の環境と合わなくて学校に行けなくなった子もいたりと、いろんな背景を持つ子どもがいるんですね。その中で、その子の周りに誰もその子が頼れるような人がいなかったり、その子のことを理解しようとする人がいない中、誰にもケアされず、深い傷を負った子達に出会うことがありました。もっと早くに周りに誰かがいたら、もしかしたらここまで1人でしんどさを抱えなくてよかったのではないかと。実際、子どもたちのストーリーを聞いていくと、誰かが、関われる機会はあったんですよね。なので、困難が積み重なるもっと前に、もっと早く、予防できたり、困難があってもなんとかなる環境を作る必要があると。そのためには、まずは誰にとっても、関心を向けてくれ、理解してくれる他者が日常にいることが大切だな、と。そして、家族で育てなきゃいけない、学校にいかなきゃいけないというような、固定化された枠だけにとらわれない、オルタナティブを作っていく必要があるなと。自分を理解してくれる大人の存在、今はまだメインストリームだと思われていない人生でも「それもありだね」と思ってくれるような社会の受容性の高さ、この2つがあればもっと人は生きやすいし、子どもは孤立しないんじゃないかなと考えて、NPOを立ち上げました。
堀)
僕も虐待の現場の取材とか、里親の制度の取材をすることもあって、NHK時代から含めて。同じように小児科医の先生方が、「自分たちのところに来る時には最終的に状況が起きてしまった後だから、その前になんとかしないといけない」という話をよくされるのを聞きます。その上で、先ほど「どこかでもう少し介入できる」とか、「隙間があったんじゃないか」という話をされてましたよね。先生の中で、具体的にはどういう現場をイメージされていますか?
小澤)
例えば、養育者の精神疾患や、経済的困窮かつひとりで子どもを育てなければならないゆえのトリプルワークなど背景は様々ではありますが、構造的に、養育者が、子どもに関心を向けるのが難しかったり、その時間も余裕もないくらい逼迫している時、もっと頼りあったり、手を差し伸べあうことが当たり前の文化があったら、そして、頼っていい誰かが、養育者にも子どもにも、必ずいる環境を作れたら、虐待の一部は予防できる可能性があったんじゃないかなと。また、特に幼少期の時は子どもは親を通して社会とつながっているので、子どもと直接出会える人が保健師さん、保育士さん、小児科医さんだと思うんですね。そこがアウトリーチの機会としてうまく機能しながら、必要なところに、必要な人や機会という資源をつないでいくことで危機が予防されたり、子どもの世界を広げていける可能性もある。小学校を経て、思春期に、子ども自身が社会の中で自分自身の役割や居場所を探していく時に、学校がもしそういう居場所にならなくても、ちゃんと自分自身の可能性を発揮できる場所や、つながりがあったり、そこに理解してくれる人がいるという介入の仕方もあるんじゃないかなと思います。
堀)
まさにPIECESの活動そのものですね。あともう一点、結構興味深いワードだと思ったのが、「メインストリームとは言えない生き方でも認められるべき」というのは具体的にどういう状況の話ですか?
小澤)
例えば、どうしても実親の元で過ごすことが難しい状況の子もいると思うんですね、親御さんが例えば事故でなくなられたというのも含めて。学校に行かないという選択をしてる子どももいると思うんです。そういった子が、里親さんや養父母さんの元で、養護施設で育っている時に、誰もに実の家族がいるはずだという前提の社会の価値観だったら、これはあくまで例えばですけど、学校での教育や会話が、家族で育つべきだよね、親に感謝すべきだよね、っていう観点しかなかったら、苦しい子どももいるんじゃないかなと。その価値観により自分の人生を否定的に捉えてしまう子もいるかもしれない。これは、学校に行っていないこどもたちが、別のことをしていたり、フリースクールに行っているとして、社会の中に学校に行くべきだよね、行かないのおかしいよね、という価値観しかなかったら、という問いにも同じことが言えるのですが。子どもたちってものすごく周りのことを見ていて、社会のことを見ている。だからこそ、社会や、身近な大人の無意識な押し付けによって、傷ついたり、自己否定してしまうことがあるのではないかな。もちろんこどもたちには、乗り越えていく力を持ってはいます。ただ、そもそも、先程お話ししたような環境は実際に実在していて、子どもが生きている環境においても、大人の思う「べき」に子どもの環境を当てはめるのではなく、画一化した価値観がもうちょっと多様になっていくといいのではないかなと思っています。
堀)
すごく同意します。生き方に正解みたいなものが提示されちゃうと、そこに当てはまらないと「不正解なのか」と。そうなってしまうとものすごく可能性を潰してしまうというか。
小澤)
そうなんですよね。私たちは、子どもたちが、自分でちゃんとその後の人生を選んでいけるように、学校に行っても、行かないという選択を一旦しても、例えば、その後また学校に戻れる道を作ったり、違う道という選択肢を、代替機能として作ったりしていく必要があると思うんです。「学校に行っていないと、その後生きて行けないよね」となると、学校に行く以外の選択肢がなくなってしまうから。学校機能もそうだし、働く機能もそうだし、そう言ったオルタナティブを作っていきたい、というのが、PIECESの活動につながっています。
堀)
ほんと、100人いれば100人の幸福追求のあり方があって然るべきだし、それを保証してあげられるのが民主主義の国であるべきだなって僕も思いますよ。
■PIECES副代表・荒井佑介さん ホームレス支援で見えた、幼少期から続く困難
堀)
一方で、副代表のもう一つのストーリーというか、どういうアプローチでなぜ立ち上げに至ったのかを教えてください。
荒井)
私は9年前くらいからのホームレス支援が最初のキャリアだったんですけど。新宿とか渋谷とか、路上に寝ているおじさんたちと一緒にご飯を振る舞ったり。基本的に話し相手になることが多かったんですけど。
堀)
その時は、10代?
荒井)
18ですね。もう結構経ちましたけど。
堀)
どうしてその分野に目が向いたんですか?
荒井)
そうですね、私の地元が埼玉の大宮のほうなんですけど、比較的路上生活者はいました。私の祖母は障害者なんですけど、障害者センターに行って、人を助けることを当たり前にすべきだと、当事者なんですけど職員並みに貢献をしているのがおばあちゃんで。そのおばあちゃんの姿をずっと見ていて。おばあちゃんと朝話す時にそういう話を聞いていたので、そういう人たちに目を向けることが染み付いてたというのがあると思います。たまたま新宿の駅におじさんが階段に座っていて、体調が悪そうだったので「元気ですか」と話しかけたら、2、3時間くらい「俺はホームレスで、こういう生活をしていて」という話をされて、「来週も話そう」と言われたのが、このホームレス支援に踏み出した1歩目だったんです。特にリーマンショックの時期だったので、若者のホームレスがすごく増えていた時期で。
堀)
リーマンショックの後は、渋谷では終電が終わると階段のところが全部ベッドになって、若い方々もお年寄りの方、老若男女、ズラーっと並んで。
荒井)
はい。20歳くらいのホームレスとか、同い年のホームレスもいました。そういった人たちとたくさん出会う中で、みんなで一緒にご飯を食べたりしていると、幼少期の話をしてくれて。ほとんどが子どもの頃から虐待があったとか、親が障害を持っていてほぼ育てられなかったとか、親や会社と縁が切れてホームレスになったという話があって。幼少期から続いているものがあるんじゃないかと関心を持って。6年前くらいにちょうど埼玉で学習支援が立ち上がって、たまたま先生の紹介で縁があって活動し始めたらハマってしまった。ああいうおじさん達みたいになることがすごく悪いというわけではなくて。大変な部分もあるんですけど、すごく豊かに生きていた人もたくさんいたので、彼らは否定しないほうがいいと思うんですけど。(ホームレスに)至らないプロセスは作れるんじゃないか。彼らは人との縁が切れたことがホームレスに至っていたので、もうちょっと早い段階から人の縁が切れないように子供達を支えていくことができるんじゃないかと思って、(学習支援で)中学生に関わったというところが私の原点。一旦企業に勤めて辞めて、いぶきさんに出会って立ち上げたというのがPIECESの誕生の流れですね。
堀)
「幼少期に遡って」というところで気づきがあったというのは大きいですね。
荒井)
そうですね。あと、両親が小学校の先生だったりもするので、やっぱりなんとなく子どもには関心があったのかなと思います。
堀)
でも会社には勤められるんですよね?
荒井)
はい。人材派遣会社に。(学習支援で)中学生をずっと見ていたんですけど、彼ら、就職につまずきそうだなというのは早い段階からわかったので、このNPOをずっとやっていこうという思いはずっとあったんですけど。会社をちゃんと知りたいな、就労支援を知りたいなと思って、会社に一旦勤めました。
堀)
自分の設計がある中で、一旦会社に入って色々とノウハウと身につけたんですね。
荒井)
いぶきさんも言っていたように、とはいえ子供たちと関わっていると、社会に出て行くタイミングでつまずくと振り出しに戻ってしまうことってよくあると思うので。そこを一本、小さい頃から大人になるまで人生丸ごとサポートできるような形を作っていかないといけないんだろうなと思って、そこを視野に入れて就職しました。
堀)
子ども達と向き合っている中で、PIECESの立ち上げに至るまでの間で、印象的な様子や聞いた話などはありますか?
荒井)
そうですね。私はホームレス支援時代から、毎日当事者の人たちに会っていて、一緒に生活しているくらい。子ども達とも同じような関係を築いてきたので、色んな子と会ったんですけど。学習支援に来ている子どもの中で、性的虐待を受けた子といい信頼関係が築けて、今もずっと関わっていて。その子は結局、高校に頑張って入って、大学の福祉の道に進んでいるんですけど、そういった子達と関わって来た歴史というものは私の中ですごく大切で。家庭環境とかすごく大変ではあるんですけど、その中で「自分を見て欲しい」、「自分の辛さをわかってほしい」という子が多かったのかなと思っていて。そこを私が満たしてあげることができると、いい信頼関係を築けますし、子どもたちの力が勝手に引き出されて行くので。支援者って何でも支援したがっちゃうんですけど、そういう根本の要求を的確に抑えることで、彼らはちゃんと力を持っているので、自分で歩いていけるんだなというのはすごく大きな経験でした。
堀)
僕も承認里親制度というのを取材した時に、一家族で何人もの子どもたちを預かってきた親御さん達にお話を伺ってインタビュー番組を作ったことがあるんですけど、その時にその親御さんが、「私たちは実の親にはなれない。でも応援団にはなれるんだ。だから、あなたには私たち応援団がついているから、色々どんなことがあっても安心して喋ってという関係を作りたい」と言っておられたんですよね。今お話聞いていたら、心に色々なプレッシャーを受けて育って来た子どもたちに、「あれをやろう」「これをやりなさい」というよりかは、「ただ隣にいる」という関係だったのかなと。
荒井)
そうですね。勉強を教える場でも、隣でただ菓子を食べているとか、話を聞いているとか、茶々を入れるとか、そんな関わりをしていたら、意外とそういう関わりを子どもたちが気に入ってくれたりして。「支援をしてあげる」という向き合い方ではなくて、何気なく友達と会っているような感覚で、普通の関わりをすることの大事さに気づきました。
堀)
居場所ってそういうものかもしれないですね。
■「コミュニティーユースワーカー」の育成 専門家とのいい役割分担を
堀)
今色々な形で、GoodMorningも使いながらいろんな活動をされている。眺めてみると多岐にわたり、いろんな現場があるなと思うんですけど。その一つひとつを教えていただければと思います。まず、メインになるのはどういう取り組みですか?
小澤)
メインになるのは、プロジェクトを作っている人たちの育成をしているということ。家族でもなく学校の先生でもないけど、自分に関心を寄せて理解してくれる大人を育成する。子どもの声をちゃんと聞くとか、子どもと楽しいことをして過ごすという人を育成するというのがメインで、そこで育成された人たちがまさにいろんな場を作っています。
荒井)
人材の育成を、「コミュニティーユースワーカー」という名前をつけてやっていて。これは私がずっとそういう活動をして来たということが大きい。私は別に専門職ではなく、ただ地で子どもと関わって来た人間なんですけど。やっぱり専門職の人とは違う役割があるんではないかと思っていて。それは何かというと、子どもの声をちゃんと聞いてあげるとか、専門家より時間をかけて子どもたちと関われるとか、何の目的もなく「普通の人」として子どもと会えるというところが、子どもと関わる中で一番求められて来たのかなと思っていて。(そのように子供を)サポートする人をたくさん作っていくといいのではないかと。また、心理的なハードルもあるとき、「この人がいるから行ってみよう」という人がいることがまず重要で。私たちは特に、情報も届かずなかなか支援に乗れない、とりこぼされた子たちをサポートしていきたいと思っています。その子たちにリーチしていくときに、場を構えるのが先というよりは、その子たちが信頼できる大人を作ろうというところから考えて、人材育成から始めたというところがあります。人の育成をしていて、一期8人ずつで、今16人。第3期のコミュニティーユースワーカーの募集をちょうど1周年記念の時にリリースして、26人くらいに増やすので、これからは拡大しようかなと思っています。そういった人たちがまず子どもに寄り添って、子供の声を聞いて、「これをやってみたい」とか、「こういうことで困っている」というのを拾った後に、場を作るという流れを作っていきたいなと思っていて。まずは人ありき、子どもありきで場を構えて、その場にいろんな子が来るという形をいくつも作って来たというのがこれまでです。
堀)
いいですよね。要は子どもたちとか、心にいろんな問題を抱えてきた人たちを、「へい、おいで!大丈夫、大丈夫よ!」と言ってあげる人がいっぱいいるってことですよね。
小澤)
そう。「この人がいるからなんとかなるかな」っていう内在化される存在が複数いたらなって。私たちは、日常の中のちっちゃい選択の積み重ねでできているじゃないですか。たくさんの本があってその中から自分でこの本を選んで読んだとか、「今日のご飯何食べる?」とちゃんと尋ねてもらえるとか、こんな文化に触れたとか、あの人と一緒に作ったプラモデルの記憶とか。そんな日常が積み重なっていくことは、子どもたちが、なんとかなると自分や誰かを信じていくプロセスにおいてもとても大切なことだと思うんです。そして、その日常を作るって、もしかしたら誰もができることで、むしろそこをやっていかないといけないと思っていて。子どもたちの日常に「一緒に日常の安心や楽しさを紡いでくれる人」がたくさんいたらいいなと思っていて。
堀)
日常の再現性って、今まであるようでなかったですね。
荒井)
やっぱり私だけではできなくて、関わっていく中で難しい問題にぶつかった時は、専門的な関わりってどうしても必要になるので、専門家の方と一緒にやる。それが団体の中にあるというのがPIECESの特徴なのかなと。適切な役割分担をちゃんと見出していきたいなと思っていて。「コミュニティーユースワーカー」というものが支援の中にどう位置付くのかというところをきちんと設計していかなきゃいけないなと。今、基本的には行政の人から紹介されたりとか、地域の人から紹介されたりとか、という形が今は多い。そうして紹介された子たちを適切に関わって、適切な場を作って、人と繋げるという形を今展開しているというところで。一年やってうまくいったところといかなかったところとたくさんあったんですけど。そういう反省を生かして3期生からリニューアルしてやっていくというのがこれからですね。
堀)
興味深いですね。とはいえ専門的なスキルも、という話があって。専門的なスキルはこういうケースで生きているな、こういう部分で生かしているなというのはどんな点ですか?
小澤)
日常を一緒に作っていく人たちっていうのは、「この子の困難をなんとかしよう」という困難に目を向ける、というよりは、その子の持っている興味やストレングスを一緒に楽しんでいて、そのプロセスで困難がなくなっていく場合もあれば、結果困難がなんとかなるということもある。ただその時、もしその子の家庭が機能していなかったり、治療が必要な疾患があったり、10代で若年妊娠したという時に、その時のケアどうするか、などというのは、それぞれ専門家との連携がすごく必要になるんですね。子どもの興味に目を向けて日常を紡いでいく人と、それでもなお起こるかもしれない緊急性や疾病性の予防や治療をしていく人と。その役割分担が「コミュニティーユースワーカー」と専門家の違いとしてあります。
堀)
専門家というのは具体的に?先生は医師としての経験を持っている?
小澤)
はい。アドバイザーとして、臨床心理士さんとか小児科医さんとか、児童精神科医さんなどがいます。専門家のネットワークは今作っているところです。
堀)
特に臨床心理士さんとかもお話を伺っていると、「自分たちのスキルがもっと日常の中に生かされるような場があればいいのに」とおっしゃっていました。
荒井)
そうですね。私たちが単独でやると、「支援しなきゃいけない」という状況になる。その状況は、私たちが純粋に日常的に関わるというスタンスを崩しかねないのかなと思っていて。その時に、専門家の人と一緒にやっているというのは、マルッと任せっきりになるというわけではないのですが、問題や困難が起きた時にはこの人に相談するという、私たちの中でも安心の材料が生まれるので。そうすると、子どもたちの可能性とか興味関心に私たちもフォーカスしやすいという役割分担が作れるというのは大きいですね。
■子どもの声をプロジェクトに 「安心」と「役割」を得られる場作り
堀)
人材育成の他にも色々やってらっしゃいますよね。端的にいうと、どんな活動があって、どんな狙いがあるのかというのをお話しいただけますか?
荒井)
いくつかあって。今、プログラミング教室のようなものをやっていて。プロのゲームクリエイターで有名なソフトを作っていた人に協力してもらって、子どもたちがゲームを開発するというイベントを毎月やっています。
あと10代のシングルマザーへの支援。なかなか10代のシングルマザーの数は多くないんですけど、支援がなかなか整ってなかったりする。10代で行政を頼るのは難しいので、その子たちの居場所支援をしています。
高校を中退した時の高卒認定のサポートをする中で、進路とか就職の相談にのるという活動もあります。
あと、不登校の子の家庭訪問をしたり。
あとは、スポーツ大会。エネルギーの高い、やんちゃな子とか、居場所を求めている子が繋がりやすいツールとしてスポーツ大会をやっています。
こういった活動をひたすらやっていて。どの現場も「この子がこういうことを困っている」という1人の声からスタートしているというのは特徴かもしれないですね。
小澤)
そうですね。「プログラミングを上手にする」という目的があるというよりは、「それぞれがやりたいこと」を持ち寄る。例えば、プログラミングをやりたい子がいたらプログラミングを学んで、絵を描きたい子がいたら絵を描いて、ストーリーを作りたい子もいる。そういう子たちが1つのチームになって一つのゲームを作る。そこに、学びが生まれ、色んな大人との出会いが生まれています。
荒井)
ここに来ている子はほとんどが不登校です。学校ではガチガチに緊張しちゃう子とか、全然学校にいけない子とかがここに来て。「学校には行かないけどここは俺が休むと他の子に迷惑がかかるから休まない」という子もいます。
堀)
言うんだ!
荒井)
言うんです、お母さんとかに。
小澤)
他の子も、「次の絵、楽しみにしてる」と言い合ったり。
荒井)
横のつながりもできたり。
小澤)
あんなにコミュニケーションが苦手で人と話したくないって言ってた子が、気づいたら自分で、周りに話しかけに行っている。
荒井)
目的を一つにしちゃうと、そこからはじかれる子がいられなくなるというのがあるので、目的を複数に持つということを大事にしていて。この子はこういう目的、この子はこういう目的を持っている、というのをいかに共存させるかというのを場の設計としてやっていて。プログラミングなんですけど、プログラミングを勉強する子はあまりいなくて、アナログゲームをやっていたり、ストーリーが考えるのが得意な子がいたり、絵を描くのが得意な子がいたり、音楽を作ってる子がいたり。それをいかに合わせてチームにして居場所を持たせるか、役割を持たせるかというのをこっち側で設計をして。ちゃんと安心できるように、安心を阻害するコミュニケーションとか要因を極力なくすように、意思疎通を取って場を設計しているので。安心安全があった上で役割がちゃんとあるからこそみんな来れるんじゃないかなと思っています。
堀)
紹介できる範囲で、この1年を振り返って、残しておきたいストーリーはありましたか?
小澤)
学校には行っているけれど学校がしんどいという子の中には、集団が苦手だったり、コミュニケーションが苦手だったり、なんらかのいじめにあって自信を失っていたりする子がいるんですね。そんな子がここに来た時に、例えば、その子が物語を考えるのが好きだとしたら、その子が考える物語を「面白いね!」と真剣に聞く人がいて。「このそのストーリー何かに活かせるよね」ってみんなで楽しみながら真剣に考えて。小さな関わり合いの積み重ねの中で、少しずつ自信を培っていっています。その子、ゲームのストーリーを考えてくれているんですけど、動物のあったかい、優しいストーリーから、インベーダーゲームのストーリーまで、幅広いストーリーを生み出していて、すごいんですよ。他の子の絵や話にヒントを得ながら、ストーリーをどんどん展開、発展させていけるんですよね。周りにはわかってもらえないかも、どうせ理解されないと思っていた物語に他の人が真剣に耳を傾けているって、その子にとっては初めての体験だったんです。最近、自分のことがちょっとだけ好きになったって話してくれました。
■見えてきた成果と課題 超えたい「行政との連携」への壁
堀)
今まで1年やってきた中で、よくできたこと、これは次に向けての課題だなという部分をそれぞれ教えていただけますか?
小澤)
そうですね。「コミュニティーユースワーカー」だけがソリューションじゃなく、他の資源とちゃんとネットワークされていくことが大切だと感じています。また、子どもを取り巻く環境の中で、「コミュニティーユースワーカー」が何をしたら一番いいのかということが見えてきたのが良かったところだと思います。課題としては、専門機関とやっていきましょうという時に、公的機関と組織とでやっていく時の壁っていうものがあって。
荒井)
まだ実績もない団体だったりするので、担当者レベルとかでは顔が繋がっているので紹介してくれるというケースもあります。組織同士のオフィシャルな行政との連携というところは来年度見えそうなところはあるんですけど、そこがなかなか作れてこれなかったからこそ、行政との連携はハードルが高かったなと。
小澤)
こういう場を作ってくださいという受託の仕方じゃなくて、かなり自由に動き回りながら子どもたちのニーズを把握したり色んなところに繋ぐ人という位置付けが、(行政には)そんなにないんですよね。新しくそのポジションを作っていきながら連携していくというのはおもしろいですけど、新しいものを作るというのは前例がないと難しいので。また、子どもの周りに実はいろんな支援があるんですけど、その支援同士が繋がっていないという課題は結構あるんですよね。
堀)
行政のほうも、中間的なアクションがあるんだということを知っていれば、もうちょっと連携して補足しながら、情報を聞き取るなど細かい支援につなげていけたんじゃないかと。
小澤)
でも同時に、ちゃんと伝えていかなければ、知らないままになってしまう必要なことってあると思うので、こっちからどれだけ繋がっていけるかがすごく大事だなと。
■PIECESのこれから 日常的な関わりを支援の枠組みに
堀)
次のタームでPIECESのやっていきたいこと、一言ずついただけますか?こんな団体にしたい、こんな活動をしたいなど。
小澤)
そうですね、大きく分けると3つあって。1つは、質は担保しながら、より広くコミュニティユースワーカーを育成し、他機関、組織と連携することで、他の地域にも応用可能なモデルを作っていきたいということ。そして、子どもに興味があるという方たちだけでない、違う分野の人たちのネットワークを広げ、行動変容を促すことで、子どもが育つ環境に関わる新しい「縁」を作っていきたいというのが2つ目。また、医療や専門家の分野に既にある知を、予防的な視点で社会に実装していけるように工夫をしていきたいというのが2つ目です。
荒井)
この活動って、子どもをまずキャッチするところ、子どもと関係を作る「コミュニティーユースワーカー」のところ、いろんな大人を巻き込んで子供にいろんな大人との接点を作るところの3つで構成されているんですけど。子どものキャッチのところでは、行政の中に「コミュニティーユースワーカー」という存在をどう位置づけさせていけるかというのがこれからの大きなテーマかなと思います。行政の人と連携をして子どもを紹介してもらうところはどうしても欠かせないので、それをどう作っていくかというのが1つ目ですね。
今16人の「コミュニティーユースワーカー」がいるんですけど、正直マネジメントがすごく大変で。彼らを雇っているわけではないので、いかに彼らのモチベーションや学びを考えていきながら、子どもにいい影響を及ぼせるかというところを同時に設計しなければいけない。そこのマネジメント体制というのをほぼ属人的にやっていたのがこれまで1年なので、そこをいかに組織化できるかというのが2つ目。
あと、いろんな場を企業や地域の人と作って、ここをプラッフォトーム化したいというのが3つ目です。いろんな企業の人が「こういうコンテンツなら提供できる」というものと、いろんな地域の団体のニーズを集めて、それを合わせてできるような場所があるのかなと。その出口が、GoodMorningのクラウドファンディングのページなどの媒体に載せていって、こういう活動がたくさん生まれていく状態を作っていきたいなと思っています。一番やらなきゃいけないことは、「支援する」とか「される」とかではなく、日常的に関わるということをどうやって支援の枠組みにするかということ。これが一番大きなテーマだと思うので、そこに向かって調整して、制度の中に踏み込んでいきたいですね。
堀)
いいですね。応援したいですね。これまであんまりないですもんね。これがある程度組織立って成功するとすごくいいな。
小澤)
そうですね。あとは労働集約型のスケールの難しさというのがあると思うので、そこをITとかを含めていかに工夫していくかというのが課題だと思います。
堀)
こういう社会貢献の分野でのクラウドソーシング的な繋がりが広がっていったり、眠っている力がどこかでつながっていくような。最後にGoodMorningで関わりたいという人や、記事を読んでいる人に、ぜひ呼びかけをお願いします。
小澤)
子どもに限らず私たちも、生きていく時に多様な人たちに出会っていくこととか、頼り合える人の存在が日常の営みの中にあることが、それぞれの生きやすさを作っていくんじゃないかなと思っているんですね。生まれた環境に関わらず、子どもたちがいろんな価値観に触れていけるとか、ちゃんと自分のこと見てくれている大人がいると思える環境がすごく大事で。それって誰もが自分が持っているスキルや資源を生かしてできることなんじゃないかなと思ってます。GoodMorningにあるプロジェクトだけじゃなくて、「自分のこんな資源があるとこんな文化が作れるんだよ」とか、「うちの会社ならこんなセーフティネット作れるわ、こんな仕事作れるよ」とか。みなさんの数だけアイデアがあるのではないかなと思うので、ぜひそういったアイデアを寄せてもらって一緒にこれからの社会の新しい仕組みを作っていけたら嬉しいなと思います。それが難しくても、お金で関わるという方法もありますし、自分の企業の働き方を変えることでもっと大人が子どもに十分関わる時間を持てるようにするという関わり方もあります。ぜひ自分なりの関わり方というのを一緒に考えていけたら嬉しいです。