2016年4月に九州地方を襲った熊本地震直後の土石流で、壊滅的な被害を受けた南阿蘇村の地獄温泉「青風荘」(「清風荘」から屋号変更)。100年以上続くこの宿を失ってはいけないと、先代から引き継いだ河津三兄弟が歯を食いしばって一歩一歩再建への道程を歩んできた。ずっと応援してきた。しかしそこに、また大雨の被害が襲ってきた。
熊本県南阿蘇村の温泉郷、垂玉、地獄温泉。古くから湯治場として栄え、200年以上を経た今も人々に愛され続けて来た。江戸時代には、熊本藩士のみに入浴が許されたという格式もあり、傷ついた体を癒す秘湯として知られる名高い温泉だ。
しかし、2016年6月、地震後の大雨によって源泉を囲む山々が崩れ大規模な土石流災害が発生。泥と岩と木々とで真っ黒になった濁流が温泉郷を飲み込んだ。発生から10ヶ月が経過した今も山肌から水が道路に染み出し、アスファルトの亀裂を広げながら土地を傷め続けている。
「熊本で最も最悪な土地だ」と、地元の被災者は嘆く。
地域のシンボルでもある温泉郷。140年以上の歴史を守ってきた老舗旅館「青風荘」は壊滅的な被害を受けた。旅館の経営者、河津誠さん、謙二さん、進さん三兄弟は自分たちの代で旅館を終わらせてはならないと復旧、復興に向け奮闘を続けている。
旅館は地域の人たちの雇用の場にもなってきた。自分たちが復興しなくては地域の復興にも繋がらないと奮闘してきたが、被害の深刻さに時折本音が深いため息とともに漏れた。
3年前に初めて「青風荘」を訪ねた。泥に覆われ巨大な岩に視界を遮られ、歴史ある建物が無残に崩れかけている様子に絶句した。自慢の大浴場は屋根が落ち膝の高さまでの泥に覆われた。場所によっては人の背丈ほどの高さまでの土砂が堆積し手のつけようがなかった。土石流の威力が恐ろしかった。それでも河津兄弟は前を向いた。沢山のボランティアが、辛うじて残された建物の泥かきをした。
そして今、2020年春の開業を目指し再建作業が進む。
料理人で三男の進さんは初めての取材でこう言った。「堀さんしっかり撮って下さい。目の前の景色は災害の結果ではない。僕らの始まりです。起点をしっかり記録して下さい」。崩落した山、寸断された道、泥にまみれた母屋。目を背けず撮って良かった。それは今、本当に起点だったんだと思えるから。
南阿蘇村の山間部にある「青風荘」。再建への道のりは一山超えまた一山。地震で道路が寸断されしばらく重機も入れられなかった。人件費や資材の高騰を理由に建設会社から計画の見直しを求められることも。経営を担う次男の謙二さん「ブレない。最高の宿をつくるのが待ってくれている皆さんへの責任」。
金融機関はシビアだ。家も宿も土砂に飲み込まれた「青風荘」の河津さん達の資金調達を支えているのは奇跡的に被害を免れた混浴露天風呂「すずめの湯」だ。乳白色の優しい手触りの名湯、「すずめの湯」。土石流災害からの難をかろうじて逃れ、今も、コポコポと音を立て湯は湧き続ける。露天から立ち込める湯気が兄弟の心を癒し、そして奮い立たせる。
2019年春に日帰り温泉として再開にこぎ着けた。「すずめの湯」は復興を起点と考える河津三兄弟の想いをデザイナーが体現した造りだ。受け継いできた木造建築を両脇から現代建築が支える。「現代の湯治を提案したい」と湯浴み着も導入。東京や大阪からも客足が絶えない。若者たちもくる。「災害があったからダメになったのではない。これまで通りではダメだから新たな価値を創っていく」という想いが、再建を目指す「青風荘」のエンジンだ。
こうして一歩一歩、再建の道のりを歩んできた南阿蘇村地獄温泉「青風荘」。そうした中、警戒するのが今回の大雨だ。2019年7月2日に再び訪熊。取材中に明らかになった敷地内での土砂崩れ。進さんからは思わず溜め息が漏れた。臨時休業を迫られ「すずめの湯」へあがるにも新たなルートを客に案内しなくてはならない(2019年7月4日から営業再開)。
熊本県南阿蘇村ではこの日、雨は小康状態で午後から夜にかけて強く降ることはなかった。しかしそれでもこれまでの雨で山からは滲み出るようにして水が流れてくる。これ以上災害が起きて欲しくない。最大級の警戒が必要な今回の雨がもどかしい。
現場では天候と向き合い格闘している人たちがいる。支える事も支援の一つ。想う事も時には力になる。
南阿蘇村地獄温泉「青風荘」の再建の様子は随時HPなどで知ることができる。再建にかかる費用10億円以上を銀行からの借り入れや補助金申請、クラウドファンディングの活用などで綱渡りで進めている。河津三兄弟は今も仮設やみなし仮設住宅で暮らす。
熊本市中心部では復興が進み地震の記憶も心のうちにしまわれつつある。
「忘れられてはいけない。再び、再興し旅館のファンをよびもどす」兄弟たちの決意は硬い。