「美容院に行きたくても行けない」方が気兼ねなく施術をお願いできる環境を提供したいと、1.5トントラックを改造し、東京都で個人向け移動美容車として運営を始めた美容師がいます。
株式会社crazy star代表取締役社長・岩田美樹さん。福祉美容を目指したきっかけは、自身の闘病経験で「不便を知った」ことでした。まだ病気が完治していない中、施設でヘアメイクのボランティアを行った際に見た高齢者の皆さんの笑顔が忘れられず、すぐに福祉美容での起業を決断しました。
福祉美容士やヘルパーの資格を取り、個人宅や施設での訪問美容を続ける中で、利用者のおばあさんがこうつぶやいたと言います。『本当はまた美容室に行きたいんだけど、もう無理ね』。どうにか出来ないかと調べ続け、偶然見つけたのが「移動美容車」でした。
「お客様が『美容室にいる』感覚になるのが大事。もともと美容室に行かれていた方も多い。美容室に行くのが習慣で楽しみでもあったはず。それを皆さん諦めているんですね。諦めないで、できるだけ美容室に近い感覚になってほしい。尚且つ、楽で、簡単で、身体に負担もかからず、スムーズに施術できるようにこだわって、(完成まで)時間が掛かりました」。
もちろんこれまでは運転したことのない1.5トントラックを、750万円以上かけ約2年がかりで美容車に。車椅子でも乗車できるように電動リフトを設置したり、車椅子から移りやすいように跳ね上げ式の肘掛がついた椅子を選んだり、座ったままシャンプーできるスイング式のシャンプー台を用意したりと、出来るだけ利用者に負担のない設備を整えました。また、内装にも思いを込めました。
「利用してもらおうと思っている方は高齢者だけではない。障害者の皆さんや、パニック障害などの精神疾患をお持ちの方も美容院に行けない。実際に私もパニックになったことがあるのですごく分かる。行ったら震えが起こることもありました。そういう方のために、なるべく物を置かず、シンプルに。落ち着いた雰囲気をと、緑と白を基調にしました。」
■増えるニーズと、自治体によって基準がバラバラな条例の壁
しかし、移動美容車を始めるのは容易なことではありませんでした。
「完全に個人出資で。銀行さんからの出資も、いいところまでいったんですけど、結局『前例がないから、元がとれるかどうか分からない』と却下されました。前例がないというのはとても大変です。許可取れているのも、世田谷区や多摩地域だけ。『条例がある』と言われたらもう無理なので」。
移動理美容車は、衛生管理などの基準を定めた条例に基づいて運営が認められています。平成26年度末時点で、許可が下りている移動理美容車は、全国で219台(※1)。
(※1)規制改革会議 第16回投資促進等WG提出資料(議題2)、平成27年12月7日、厚生労働省より
しかし、条例に定められた基準によって、ニーズに応えきれないという事態が発生しています。地方自治体によっては、店舗型の「理・美容所」最低面積基準を、そのまま「理・美容車」に適用しているケースも。「当社は高齢者施設を中心に営業しているが、保有している理・美容車は大型(4トン級)のため、個人宅からの予約は断らざるを得ない状況である。小型の理・美容車を使用することができるようになれば、在宅介護の分野等にも進出できる」という事業者からの声もあります(※2)。
(※2)規制の簡素合理化に関する調査 結果報告書、平成26年10月、総務省行政評価局より
東京都の移動理美容車の面積基準は、「業務の実施及び衛生の保持に支障がない十分な広さを有すること」と緩和されていますが、全国統一の基準は設けられていないため、結局は各自治体の判断に委ねられているのです。
しかし、岩田さんはこのような厳しい条例の中、「個人向けだったら、向き合って一人ひとりとゆっくり時間が取れる。周りの目を気にすることがなく、『カラーもしてもらおうかしら』と気軽に言える環境を作ってあげられる」と、小型の個人向け美容車にこだわり粘り強く交渉を続け、ようやく認可を得るまでに至りました。
■「仕事以上に、出ることに対するすごいモチベーションが上がっていく」
障害のある方の雇用促進のために設立された特例子会社「ジョブサポートパワー株式会社」代表取締役の小川慶幸さんは、岩田さんの活動を応援している1人です。
「今は、全体の6割にあたる84名が在宅社員です。働いている社員の中から、『美容室行くのも結構困っているんですよ』という話を聞いた時に、岩田さんのような人がいてくれると、『こういう人がいますよ』と紹介できる。現実に、それでうちの社員がすごく助かっているんです」、と小川社長。
「基本的にSkypeを使って仕事をしています。本当はカメラを使えばいいんですけど、音声だけでやり取りを。それはやはり、働く側の女性が、映像になるとそれなりに見繕いが必要になる。そういうことも、通勤だと毎朝やらなきゃいけないんですね。そういうことが在宅だとしなくていいわけですよね。ただ、そうは言っても、外出したり、時によっては映像で打ち合わせをしなきゃいけないこともあります。そういった時には綺麗でいたいと思っても、なかなか日常生活の中ではご本人の願いが叶わない面もある。そういった意味で、岩田さんのような人がいて時々そういうサポートをしてもらったり、仕事で東京に出てきた時にサポートしてもらえるということがあったりするだけでも、仕事以上に、出ることに対するすごいモチベーションが上がっていくのはすごくよく分かります。来るのが楽しみだし、安心して来られるみたいな。そういう方がいるっていうだけでも、全然違うと思うんですね。」
■「美容院は1年に1回」「シャンプーも段取りを決めて」という現実
岩田さんに助けられた「ジョブサポートパワー株式会社」社員の1人が、筋ジストロフィーを患い電動車椅子生活を送る、上田れいなさん。大阪で在宅勤務をしています。岩田さんと出逢うまでは、美容院に行けるのは1年に1回でした。
「美容院に行っても、切ってもらうだけなら何とかなるのですが、シャンプー台に移動しなければいけない。シャンプー台に移れないとなると、なかなか行けるところがなくて。洗うところだけ段差があったり、どうやって扱っていいのか戸惑われたり。いつも同じところへ行くのですが、昔住んでいた家の近くの美容院なので、電車で1時間くらいかけて行かなければいけないんです。まず朝に身支度で化粧して着替えてと1時間くらいかけてやっていると、準備と移動で4時間くらい消費する。そこからカットをして染めてとすると、美容院は1日仕事なんです。岩田さんに来てもらえなかったら、自分で行くのは1年で1回くらい」。
Skypeでコミュニケーションを取っている仕事仲間に会いに東京に出掛けることが好きな上田さんは、岩田さんのおかげで安心して東京で過ごすことができるようになりました。
(岩田さん)「トイレも介助がないと難しい。そこで倒れちゃったらもう起き上がれない。『シャンプーっていう作業だけを頼めるようになっただけで、すごく気が楽になった』と言っていました。東京に来て誰かにシャンプーを頼まなきゃいけないとか、前の日からシャンプーをしなきゃいけないとなると大変で。彼女たちは、セットをしたら、その次にシャンプーができるのが1週間後とかになっちゃうんですよ。シャンプーするのもきちんと段取りを決めて、帰る時には次のシャンプーまで日にちがあるから、なるべく何もつけない状態で次のシャンプーまで持たせるようにするとか、そこまできちんと打ち合わせをしています」。
■『ちょっと出てみようかな』 選択肢のある「豊かな」明日のために
小川社長は、社員の「選択肢」を増やしてくれるこの取り組みに、強い期待を示します。
「例えばですけど、『髪を綺麗にするには美容室に行かなきゃいけない』っていう選択しかないとなると、それはすごく窮屈だと思うんですよね。自分がやりやすい、行きやすい場所でそういうことが受けられる環境を作っていくのもすごく大切だと思うので。生活の豊かさは、自分で選択できる環境が用意されて初めて生まれるもの。選択するかしないかは本人の自由なので。ただ、それがあまりにもまだない」。
上田さんは、いつか岩田さんが移動美容車に乗って大阪に髪を切りに来てくれる日を心待ちにしています。
「うちの会社は障害を持っている方がたくさんいるので、東京近辺の方からでも綺麗にしてあげてもらえたら。髪の毛を切ったり染めたりするだけで、本当にテンションが上がるんです。岩田さんが繋ぐおしゃれと夢はたくさんあると思う。みんなを綺麗にしてあげられる存在だと思うので、頑張って欲しいです」。
岩田さんは現在、移動式美容車を使って訪問美容サービスを提供していくために必要な運営資金をクラウドファンディングで募っています。
「高齢者の方は高齢者の方で、それぞれ全然違う。一括りにされちゃっている部分があるじゃないですか。高齢者の方、障害者の方、一人ひとり全然違うんだよと言いたい。そこをきちんと見極めた上で、私が美容で助けられる部分があれば、助けてあげられたらいいなと思います。皆さんお家に閉じこもりがち。そりゃそうですよね。一回一回『お願いします』と頼まないと外に出られないとなると、『いいや』となってしまう。それを少しでも『ちょっと出てみようかな』という気分にするためのお手伝いができればと思います」。
岩田さんの挑戦は始まったばかりです。