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(日本語) 【佐藤慧(Dialogue for People)】取材レポート:銃を持つ手は誰のものか -元IS兵の証言-(シリア)

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彼は武器を手に取り、その銃口を人へと向けた。僕と彼とではいったい何が違ったのだろう。どこに生まれ、どのような人々と出会い、どんな出来事を経験したか。もしそれがその人の行為を決定するのであれば、それは僕だったかもしれないのだ。もちろん、世の中に同じ人間はひとりとして存在せず、ひとつの行為を他者の選択と比べることに意味などないのかもしれない。しかし、僕に与えられた「何か」が彼に与えられず、もしそれが人生の選択の大きな要因となるのだとしたら、そこから引き起こされた行為の「責任」は誰のものなのだろう。その与えられなかった「何か」が、温かな家や、平和な日々、未来への希望といったものだとしたら、その銃を持つ手は誰のものなのだろう。

1発100円にも満たない銃弾だが、人間の命を絶つには十分だ。

 

戦争という非日常で武器を手にした人たち、テロリストと呼ばれる人たち、物心つく頃から兵士として育てられてきた子どもたち、徴兵され武器を取ることを強要される人たち。そんな人々と出会うたびに、そのような疑問を抱いてきた。いや、戦争に限らず、世間で犯罪だと言われる物事に手を染める人々は、自分では抗えない「何か」が要因として存在した、もしくは欠如していたのではないかと思ってしまうのだ。それは罪の重さを軽くするものではないし、行為を肯定するものでもないが、それを「自己責任」と呼び、その個人を社会から追放することで世の中が良くなっていくとは思えない。そこにある社会的要因、個人を落とし穴へと誘う構造的欠陥を直視し、あらゆる人々がその責任の一端を担うことが、本質的な問題解決への道ではないだろうか。

シリア北部、ロジャヴァと呼ばれるクルド人が多数派を占める自治区にて、チュニジアから来たという彼は、暗い部屋の片隅でポツリ、ポツリとしゃべり始めた。アリー(26歳、仮名)は、元IS(いわゆる「イスラム国」)兵だった。チュニジアでは大学で建築を学び、卒業後建築現場で働いていた。チュニジアは「アラブの春」を経て、民主体制への移行が実現した国として、革命の成功国のように報道されることもあるが、実際には経済は落ち込み、失業率は平均して15%、若者世代では30%に及ぶという。行き場を失った若者たちの中には、過激思想に感化され、武器を手に闘うために武装組織へと加入する者も少なくない(※)。

ラッカ市内の建物に残されていたISの印。数日前に自爆テロで犠牲者が出たばかりだった。

 

アリーはどうだったのだろうか。「テレビで、アサド政権に殺されているシリアの人々を見て、他人とは思えなかったんだ」と彼は言う。2013年の末、当時19歳だったアリーは、同じ村の若者数人と一緒にシリアへ渡る決心をした。両親や親族には相談しなかった。リビアからイタリアに渡り、トルコへ向かった。そこからシリア国内のラタキアという街に入り、そこで武装勢力と接触した。「色々な武装勢力がいた」という。初めはIS以外の武装勢力に加入したが、その後ISへと移った。「理想的な組織だと思っていた。これでアサド政権と戦い、市民を助けられると思ったんだ」。しかし徐々に組織の矛盾が目立つようになってきたという。「初めはしっかりとした組織に思えた。でも人が増えてきて、色々な国からよくわからない人々が入ってきて、組織を無茶苦茶にしていったんだ」。2016年末頃には、もはや組織として機能していなかったという。「なんでも感情的に決める。物資も限られていた」。アリーは当時会計係として、街へ出て両替などを担当していたという。そこで出会った地元の女性と恋に落ちたことが、アリーの世界を変えていった。「内側にいるとよく見えなくても、外から見ると、自分たちの生き方のおかしな部分に気づく。戦うよりも、愛する人を大切にして生きていきたいと思うようになったんだ」。

ISにより完全に破壊された村跡。数年経っても人々は戻ってきていない。

 

アリーはISを抜けることを決意する。正式に除名されたはずだったが、一度は捕まりISの刑務所で拷問を受けた。釈放後、恋人のいる町へと逃れ結婚、オイルの販売などで生計を立てていた。子宝にも恵まれ、束の間の平和な日々を過ごしていた。その後ISはクルド人民防衛隊(YPG)を中心とするシリア民主軍(SDF)により支配地を奪われ、多くのIS兵が逮捕された。妻の故郷に戻る途中だったアリーも検問で捕まり、今に至るまで勾留されている。

人を殺したか。そのような質問をしても、まともな答えは返ってこない。ここはシリア民主軍の管轄する施設の中で、何人もの軍人が取り巻く中でのインタビューなのだから。「銃を持って戦ったし、空爆にも晒された。ヌスラ戦線の支配地との境界線で防衛についていたよ」というアリーだが、自ら誰かを殺したという話は出てこない。ただ時折、うつろな視線が宙を泳ぐ。その脳裏にはどんな光景が浮かんでいるのだろうか。

様々な武装勢力の主戦場となり壊滅した村の瓦礫で子どもたちが遊んでいた。

 

いつまでここに勾留されることになるのか、それは彼自身にもわからないことだった。他国からやってきたIS兵は、出身国に送還した後に本国が裁かなければいけないため、ここにいても事態は進展しないのだという。しかしイギリスをはじめ、多くの国は元IS兵の囚人を引き取りたがらない。UK出身の元IS兵男性は、「なぜ僕の存在がニュースにもならないのだろう」と訝っていた。

アリーと一緒にチュニジアからやってきた友人たちはどうしたのだろう。「みんな死んだよ」、とアリーはそっけなく答えた。「私だけが生き残ったんだ」という彼は、僕の目を見ると乾いた笑い声を上げた。それはまるで、自分自身の愚かな選択をあざ笑っているかのように僕には聞こえた。「刑期を終えたら妻や子どもたちと暮らしたい。そのためにISを抜けて来たのだから。もし家族がいなかったら、死に場所を求めて戦場をさまよっていただろう…」。

初めは友人たちと滾らせた義憤だった。不景気な世の中への苛立ちもあったかもしれない。何かが少し違ったら祖国で建築の仕事を続けていたのでは、と考えるのは無意味なことだろうか。いや、そのボタンの掛け違いを丁寧に読み解いていくことこそが、第二、第三のアリーを生まないために必要なことだろう。戦場の真っただ中で、ともに生きたい大切な人を見つけた彼は、いつか家族と一緒にささやかな幸せを生きることができるのだろうか。インタビューを終えると、アリーは無表情のまま部屋から出ていった。

(※)ISに加わったチュニジア人の数は、チュニジア政府の発表で3,000人以下、国際人権組織などによると6,500人以上に上ると見られている。

(写真・文:佐藤慧/2019.4.18)

 

※本記事はDialogue for People(D4P)のWebページからの転載となっております。D4PのWebページでは本記事以外にも多くのレポートを掲載しております。各種レポートへのリンクはこちらから。

 

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